2010年2月25日木曜日

QC(品質管理)とDC(危機対応)

フロリダの水族館での起こった事件は衝撃的だ。シャチに芸を教えるベテランの女性調教師が観客の目の前でそのシャチにかみ殺された。そしてこの事件が奇異なのは水族館の対応である。まず事件を事故として発表。彼女は高台から落ちて死んだと発表した。だが事実は観客の目の前で起こった。CNNのインタビューには答えた複数の観客は、彼女はジャンプしたシャチに腰を噛まれ、そのまま水中に引きづり込まれたと証言している。ではなぜ水族館は事件を事故とダウングレードしようとするのか。それはこの殺人シャチの過去と無関係ではないだろう。実はこのシャチは過去2人の調教師の死亡と関係していた。だがその都度事件は事故として処理されたという・・。

この話が事件なのか事故なのか。その違いはトヨタ車を巡る安全性の議論にも通じる。昨日の公聴会では豊田章男社長に質問した議員の中には明らかに人気取り優先 の下品な輩と、一方でケンタッキー出身の議員の様にトヨタに地元の雇用を支えられている事を明らかにした上でトヨタ弁護の大演説を打つ者がいて面白かった。そして一緒に議会証言を観た米国人トレーダーの章男社長の評価はまずまず。彼の顔が金正日に似ているとの評には驚いたが、概ね堂々とした受け答えで適度に面目を保った内容だった。ただ米国人の代表としての議員と、技術力を誇る日本メーカーの代表としてのトヨタのそれぞれのQC(QUALITY CONTROL)に関する常識の差は埋まらなかった。

そもそもトヨタに大企業病が生まれていた事は日本人も承知。だが当局と米国トヨタの蜜月は訴訟国家米国のロビー活動としては当然の話だ。たまたまこれがリークされたからといって章男社長に詰問しても無理がある。こちらではその様な隠し工作が露見するとそこを追求するのは常套手段。だが同じ手法を技術に命をける日本企業のトップに適用するのは日本人として違和感を覚えた。ただ今後日本企業が米国で商品を売る場合学ばなければ事例を一つ紹介する。それは82年のTYLENOLリコール事件だ。これは米国のMBAではコカコーラの失敗事例と同じ頻度で成功事例として扱われると聞く。そしてその事件は82年にシカゴで発生した。

ジョンソン&ジョンソン傘下の会社が販売していたTYLENOL(風邪薬、痛み止め)は55年の発売からどの家庭にも必ずある大ヒット商品として市場に君臨していた。ところが誰もが安心して飲んでいたこの薬を飲んだ8人がシカゴを中心に次々に死んだ。当初は因果関係は定かでなかったが、皆がTYLENOLを飲んだ事が判明すると全米は大騒ぎになったという。そして原因究明云々の前にジョンソン&ジョンソンは3100万個という膨大なリコールを断行、当然ながら同薬は完全に市場を失った。ところが数年後原因は誰かが意図的に劇薬を混入したという犯罪だった事が判明。これを切欠に言い訳をする前に膨大なリコールを断行したジョンソン&ジョンソンのスタンスが評価された。そして同薬のシェアは急回復、またジョンソン&ジョンソンは浮き沈みの激しいダウ30種の中の名門企業として盤石の地位を保っている・・。

要は日本のQCがいかに欠陥を生まないかという千日回峰行型であるのに対し、犯罪や欠陥が前提の米国社会ではD.C.(DAMAGE CONTROL)が前提だ。一番はっきりするのが商品の交換。米国では殆どの小売商品が交換の可能性を前提にしている。言い換えれば消費者は品質の完璧性を最初から諦めている。だが日本はそうはいかない。交換を前提にしない日本の消費者は厳しい。メーカーはいかに不良品ゼロの神業に近づくか。日々それにしのぎを削る。逆に言うと簡単には欠陥を認められないのが日本企業の宿命である。即ち、QC(品質管理)とDC(危機対応)の違い。どうやら米国でトヨタはその感覚の差がアダとなった。


勇者は語らず

NATIONAL TREASURE・・国の宝、NBCの取材に対し韓国の放送局はキムヨナをそう評した。韓国に動向したNYTIMESの記者も「英国における故ダイアナ妃以上の存在」と評したが、今晩韓国は建国以来の一大イベントを迎えるのではないか。そして日本人としては本来ならキムヨナの前に真央がトリプルアクセルを2回決めてプレッシャーを与えたかったところ。だがどうやら演技の順番もヨナに味方している。

ただヨナだけでなく、韓国の勢いは本物だ。それをまざまざと感じるのはこちらでの車と家電。日本人は韓国ブランドに手を出すのは最後。だが最早米国人にとって日韓の製品のクオリティーの差を挙げる人はほとんどいない。それどころか寧ろ「日本の製品には自分達が知らない問題があるかもしれない」と感じ始めた可能性が出てきたのがトヨタの米国社長の公聴会である。昨日の議会証言で明らかになったのは「日本企業は現地のトップに危機対応の権限を与えていない」という印象。そして今朝のNBCのワシントンからのリポートではトヨタ問題は日本という国が持つ閉鎖性が日本企業と日本の製品全般に影を落とする可能性を示唆する内容になっている。

この現状から思い出されるのが城山三郎の小説「勇者は語らず」だ。ご存じの方も多いはずだがこれは日系自動車メーカーとして初めて米国に進出したホンダを支えた中堅の部品工業の社長の情熱を扱った小説。寡黙で男気のある人物を扱う城山三郎の小説はビジネスの世界を目指す事を決めた頃読み漁った。その中でもこの小説は秀逸。当時の日本企業の魂と超大国米国が国内産業が斜陽を迎えても外国メーカーに対してフェアーであった懐の深さをまざまざと感じさせた。そして最後に本田総一郎が米国で死期が迫った主人公の病棟を訪ね、感謝の気持ちを述べるシーンがある。「勇者は語らず・・」今となっては懐かしいだけ。日本に奢りが出始めたと今、米国も嘗ての超大国としての懐の深さは消えた。



2010年2月24日水曜日

ハドソン川の向こう側

ケースシラー指数では幾つかの都市の住宅価格が年率で上昇した事が確認された。だが全体としては底ばい。これが好い事なのか、悪い事なのかは株のチャートと比べれるのがよい。株が安値からこれだけ戻っても住宅立ち直っていない事をどう見るか。住宅は庶民の財布。庶民はこのまま株が上昇すればいずれは住宅も上がると希望を抱いている。だがその妄想にも時間切れがある。繰り返すが、米国の住宅市場の上昇を支えた金額は紙幣を積み重ねれば月まで到達する様な天文学的な数値だ。一方で現実のマネーサプライ1月から全く伸びていない

そしてこの状況でFEDは3倍にしたバランスシートを縮小するという。本来FEDはバランスシートを縮小するのではなく、2006~07年のピーク時に優に1000兆円を超えたM3(FEDが発表止めた2006年3月で900兆円)に迫るまで拡大させなければならない。さもないと庶民の淡い期待は時間切れを迎えるだろう。だがそれはFEDのバランスシートが2兆ドルを超えた今の時点でここまで大騒ぎするようでは今の段階での選択肢ではない。

ではこのまま株と住宅の戻りの格差が放置されたらどうなるか。ソレはそのまま庶民の怒りに直結する。なぜなら株が戻るとそのままWSの給料に直結するからだ。米国民は最早それに冷静ではいられない。要するに株が上がっても住宅価格が追いつかないと国民の怒りのエネルギーは益々FEDと民主党に圧力をかける。結局それは株の悪材料になる。そして株は住宅価格を押し上げる前に株の方が住宅価格に近づいてしまう(下落)。するとここまでの資産効果は消滅し、再び住宅市場の下落トレンドが始まる。これが予想される負のメカニズムだ。一体を誰が止めるのか。

そしてその象徴となった消費者信頼度指数を受け、CNBCのアナウンサーが面白い事を言っていた。「ハドソン川の向こうは別の国かもしれない・・。」この男性アナウンサーはイギリス訛りが激しいので普段は耳を傾けない。だがこの表現は流石イギリスン人。グリーンスパンも遠巻きに同じような事を言ったらしいが、まあ今頃気づいても遅い。もうこの国の政治と経済のバランスはとっくに脱輪状態になっている。

ただそんな米国でも相変わらず原理原則を言うの共和党保守派。その旗頭のロンポールがこれはこれで面白い発言をしていた。彼は経済においてはオーストリー学派の正論をきちんと学んだ。従ってその強烈なFED批判もいい加減な根拠ではない。そして彼は「ソ連が冷戦に負けたのは軍事力で負けたのではなく最後は国家が破産して負けた。このままだと米国が次のソ連になる。」と米国の現状に対して警告を発していた。バーナンケは明日からの議会証言で彼から同じ事を言われるかもしれない。だが財政赤字は成長が続く限り先送り可能と考える。財政が国を滅ぼすとしたらそれは成長が止まる事による間接的な影響からだろう。

その点をみると今の米国は成長軌道に戻るの為の民主主義と資本主義の両輪が脱輪している状態。それを金融市場に満ち溢れる流動性が隠している。マンハッタンはそのギャンブル経済の首都。そしてそこから見えるハドソン川向こうの景色(米国本土)は別の色をしている。

2010年2月23日火曜日

ミラクル再現?

まず訂正しなければならないのは、米国が冬季五輪の伝統競技で弱くなっていると評価した事。ここまでのところ、その見解は当っていない。ただ勝っている人も日本のジャンプ陣と同じで過去の名前ばかり。金のかかる冬季スポーツのすそ野は米国でも広がってはいない。その中では昨日のアイスホッケーのカナダ戦は盛り上がった。中には80年のミラクルオンアイスの再現と騒ぎだした人もいる。だが80年の試合を遠い日本でライブで見た経験からはその意見には同意できない。恐らくそれは米国人の希望の表れだ。なぜなら80年の「ミラクルオンアイス」はその後の米国の国力の浮上の転換点になった事が今では常識になっている。中国の台頭と景気低迷に苦しむ今の米国があの「奇跡」の再現を願っているのは心情的には理解できる。ただ経済分野の重鎮が集まるNABEの景気動向調査のあまりの軽薄さ(強気見通し)には驚くしかない・・。

2010年2月20日土曜日

新プラネットアース

久しぶりにタイガーを観た。謝罪といえば98年のクリントンの会見が自分が見た中で今も頂点だが、公人である大統領の不倫の謝罪は当然として、出来はともかく公人ではないタイガーが自身で会見を開いた事にこの国は価値を認める。その本質を意識してトヨタの豊田章男社長は公聴会に臨むべきだろう。だがトヨタは企業だ。責任を認め過ぎるのは訴訟国家米国ではリスクが大きすぎる。ならば参考はウォールストリーのトップか。彼等は公聴会で神妙な態度を見せた一方で罪は認めなかった。いずれにしてもトヨタは日本企業。これまでのトヨタの貢献を無視しこの国がどこまでトヨタを虐めるか。来週はっきりするだろう。

それにしてもタイガーもトヨタもゴールドマンも2年前までは誰も追いけない巨象だった。しかし象も倒れる。そんな時代が始まった。ただその倒され方にもいろいろある。そういえば先週はあのプラネットアースの新バージョンが放映された。そこには不可能だと思われたゾウを倒すライオンの群れがいた。真に仁義無き戦いだった。次にアマゾン川へ映像が変わった。そこではピラニアが仲間を襲っていた。数十秒で骨だけになった。ただ殺し合いでもライオンとピラニアは全く違う。ピラニアは川を渡る動物に襲いかかるという獰猛ぶりが有名。だがこれは事実ではない。資料ではピラニアは集団でしか行動せず、一匹一匹は魚の中でも最も臆病な性格と書かれている。その証拠にこの魚は普段は隙を見せた仲間を襲う。そして傷ついた大物が川に嵌ると、最初は警戒しながら誰かが襲いかかると一気に大多数がそれに続く。「ソロモンの指環」のハトとヤギの性質も然り、臆病モノほど集団になると恐ろしい習性の側面である。

米国は「TOO BIG TO FAIL」を見過ごし、間違いを犯したモノを救済する事になった。だが取り残された「TOO SMALL TO MATTER」の人々の怒りは治まらない。彼等は生贄を必要としている。次は誰か。米国は死ぬべきモノが死ななかったゾンビワールドになったが、実はそこにはピラニアもいる。日本企業は心してかからなければならないだろう。





2010年2月19日金曜日

喪中の資本主義

子供の頃、共産主義とは、あるいは社会主義とはなんなのかを本当は知らないままソ連を暗黒帝国として考えた。その後、学校を出るとアクシデントで証券会社に入り、金融の世界を知った。そして何の因果が資本主義の権化の米国に転勤になった。

この様な偶然を経て、金融を生業にしてから米国の中央銀行の存在はバイブルだった。だがそのバイブルが金融危機で書きかえられた。バイブルがなくなった世界。ソレが今の金融市場だ。そこでは何が悪で何が正義なのか判らない。違いは間違いを犯しても救われるTOO BIG TO FAIL(大きすぎてつぶせない)と、何をしても救われないTOO SMALL TO MATTER(小さすぎて問題にならない)があるだけだ。

そんな中で米国では中央銀行の救済で潤う大手金融機関と、それ以外の人々の差がますます拡大している。民主主義の基では過半数が自分は平均以下の下層に属すると感じ始めると資本主義は機能しないはずだ。いつか自分もマルクスの軍門に下り、あの暗黒帝国のソ連が正しかったと考える時がくるのだろうか。それはそれで恐ろしいが、意外に楽しいかもしれない。

まあそんな世の中で自分の身の置き場をどこにするか。今はそれを整理して立ち向かう。これがこれからの世界感だ。ただ弱者は自分で満足感を探すしかない。そんな時、個人的には「悪い奴をぶすっと刺す「中村主水」は痛快だった。この番組を含め、なにやら朝日系の番組を見る事が多くなった気がする。ただどこか実家の父親に似ていた藤田まことが死んではもう「必殺」も見ないだろう。資本主義と藤田まことの喪に服したい。

2010年2月18日木曜日

時空浮揚力

NHKがオリンピックを盛り上げるために組んだ特集ミラクルボデイーは参考になった。番組は金メダルが有力な3人の世界的選手の体を科学的に分析、バンクーバーに向けての体作りから秘策まで、半年以上かけてじっくりと追っていた。ただそこは勝負事。金メダルが確実と思われた滑降のスピンドルは銀メダルに終わり、現役選手で最も4回転ジャンプの安定度が高く、また世界で初めて一つのプログラムで3回の4回転ジャンプを成功させたフランスのジュベールは昨日のショートプログラムで失速した。

そんな中NHKが選んだ3人のアスリートの中で実際に金メダルを取ったのがジャンプのアマンだ。そして3回シリーズだったこの番組は3人の中でもアマンが異質だった事を捉えていた。まず小柄なアマンは筋力やジャンプ力等の基礎体力は五輪選手の平均以下。その彼がジャンプを始めた切欠は11歳の頃、体が小さすぎて友人が出場したアルペン競技に出られず、しかたなく体格の足切りのないジャンプ競技に出た事だという。そこでジャンプは初めての挑戦だったにもかかわらず23メールを飛んで優勝。その時に感じた「空を飛ぶ感触」が忘れられず、そのまま競技選手になった。そして彼は他の選手がジャンプ力を鍛えるジャンパーになろうとするの対し、彼はいかにして長く、早く空を飛ぶかを極めた。彼は自分をジャンパーではなくフライヤーだと言う。彼のそのトレーニング方法は全く異質だった。

一方で惜しくも銀だった滑降のスピンドルは生死の境をさまよう大事故から復活した超人だ。彼は敢えて復活の場所を大事故を起こしたコースを選び、そこで人間の脳が持つ防衛本能を敢えてマヒさせて事故の時よりもさらにハイスピードで難関のコブ越えに突っ込んだ。「勝者になるには安全装置をチョットだけ外さなければならない」。彼の言葉だ。だがこの「チョットだけ」が超人とそれ以外の差。それはまさにバーチャールな相場にディトレードで立ち向う真骨頂と同じだ。だがバンクーバーの勝利の女神はそのスピンドルにさえ降りなかった。

アマンとスピンドルは何が違ったのだろうか。勝負は時の運だ。ただシリーズを全て見比べると、何となく感じる答えがある。だが旨く説明できない。ただそれは自分が感じるマーケットの本質と、時空を超えてサバイバルするの究極の手段と同じに様に思えた・・。


2010年2月17日水曜日

いらない金メダル

こちらでは郊外のコミュニテイーの豊かさを図る尺度の一つにその町のスポーツ施設の充実度がある。平均所得が低い荒れた町では学校への拠出もままならないが、そんな町にもあるのはサッカーグランド。そこではヒスパニック系の子供が元気にボールを蹴っている姿を目にする。そしてこのシカゴ近郊ではあるスポーツ施設の有無がその町のステイタスを物語る。それは真夏でも氷を張り続けなければならないスケートリンクだ。幸い自分が住む町にもスケートリンクがあり、隣接のゴルフレンジに出向くと、駐車場では男の子はホッケーのステイック、そして女の子はフィギアスケートの靴を持った親子に出くわす。だが金融危機後減収が続くこの町ではスケートリンクの存続が議題である。

さて最近の米国の冬季五輪の金メダルには特徴がある。ソレは米国人が好きなフィギアなどの伝統種目では勝てない一方新しい種目で米国は強い。そしてこれらの新しい種目は90年代以降に正式種目になったものが殆どである。冷戦後の浮かれた20年をここで過ごした自分としては、名目経済がまだ右肩上がりだった頃から既に庶民の暮らしが疲弊していく様はコミュニテイー施設の劣化を通して感じていた。その一方で社会が金融ゲームのような軽薄さを纏う中で富裕層を中心に新しいレジャースポーツの開拓も盛んだった。そしてソレを後押ししたのは企業がスポンサーになったスポーツコマーシャリズムである。

そもそも冬のスポーツは金がかかるが、平均的な白人家庭の子育に余裕がなくなると町のスケートリンクでフィギアの練習をする子供にはアジア系が増える。その一方で裕福な白人家庭の子供は新しいスポーツをホビーとして楽しむ。また貧乏な地域では路上でのスケボーが盛んだ。そんな子供達からショーンホワイトの様な新しいスターが生まれるのは自然な成行きだろう。その意味で豊かさが前提の冬の五輪でどんな種目にせよ米国がまだ強いという事は米国はまだ貧乏ではないという事かもしれない。だが米国を貧乏にしないようにお金を貢いでいるのが、金メダルの数でも、また実際のデフレでも貧乏になりつつある日本である。その事実が今日の指標(TICS)で判明した。この指標では日本が米国債の保有残高で中国を抜き返して再びトップになっていた。これを受け最近米国の手先の様な記事が目に余る読売はその事実をあたかも名誉であるかのような解説をしていた。

最後に、若い読者のために米国が最も輝いていた頃の冬季五輪の話をもう一度したい。何度も触れたがソレは80年のレークプラシッド冬季五輪だ。その当時は米国経済はどん底。また国際情勢もソ連率いる共産陣営に西側は押され気味だった。その国威のどん底でマネーとは無縁の米国の若い力は圧倒的組織力をバックにした職業軍人兼プロフェッショナルのソ連のアイスホッケーの代表チームを打ち破った。またスピードスケートではエリックハイデンが500 1000 1500 5000 10000の全ての種目で金メダルを取るという前人未到の偉業を成し遂げた。事前試合ではNHL選抜の米国のプロ集団を蹴散らしたソ連代表チームがなぜ大学生に負けたのか。その答えはHBOの傑作MIRACLE ON ICEにある。そしてその答えは真面目な医学生だったハイデンが科学的トレーングを専門とするプロのコーチではなく、地元のコーチの元で重いタイヤを腰に巻きつけての負荷に耐えるというスピードスケート経験者の自分としても信じられない訓練をしていた事と同じである。

ハイデンはその後自転車に活躍の場を変えたが、彼が今の選手と違うのは最後までその偉業を金に換えなかった事。彼は群がったスポンサーの申し出を全て断り、現役引退後の現在は整形外科医として地道に暮らしているという。そしてこの時代を境に米国は景気回復過程に入る。ただその一方でスポーツはその本質を変えてしまった。マネーが主役になった。リードしたのはスタインブレナー(ヤンキースのオーナー)とその方向性に便乗したMLBとのスポーツジャーナリズムの声がある。だがそれは金融危機においてGSだけを批判するようなものだ。冬季五輪に拘るならば新種目がホビー化した冷戦後の世の中の流れのほうが影響が大きかったと考える。

いずれにしてもハイデンからタイガーが主役なった米国。その米国の金メダルを支える豊かさの永続のために日本が奉仕する。その象徴が米国債の残高なら、ソレを競う金メダルだけはいらない・・。




2010年2月13日土曜日

西洋文明の起点国家

昨日はワシントンポスト、そして今日はニューヨークタイムスが統計を出した。前者では米国民の75%が現政権に怒りを感じ、後者では同じく75%が議会に失望している事が判明した。要するに米国民は自分が選んだ大統領と国会議員を評価していない。だが民主政治とはポピュリズム。議員は選挙民の意向に沿ってきたはずだ。ではなぜ政治家だけが非難されるのか。本来は国民自身が己を非難すべきではないのか。確かに一部では「誰かに文句を言っているだけでなく、米国人として今何をすべきかを考える時」との知識人の意見を取り上げ始めた。ここは「金と政治」で国会が紛糾し、そしてマスコミはそれを煽っているだけにみえる日本とは違うところだ。

それにしてもあの熱狂したオバマ大統領の誕生から僅か1年である。この国民の怒りはなんだ。そういえば昨日緊急入院したクリントンは在職中個人としてはオバマの様な人気があったわけではない。だが当時の国民は彼の不倫を許した。理由は簡単、あの時は米国経済が頂点を迎えていた。経済はこんなに人を変える。そしてこの人間の性を長い歴史を持つ中国は知っている。中国は米国の老化やギリシャの困窮に関係なく淡々と金利を上げた。

中国は日本の事例を勉強したのだろう。バブル期の80年代後半から日本は世界から期待され、そして日本はその気になって勝負に出た。だが市場原理とは所詮「西欧式都合主義」だった。そのルールの上で転ろんでから日本は立ち上げれないままだ。中国はこの市場原理との付き合い方においてアジア人として先行した日本の失敗を勉強しているのだろう。また一旦動き出すと12億のエネルギーは途方もない。豊かになったあとの民主化の動きが時に政治体制のリスクに繋がる中国では景気の舵取りは冷やし気味の方が正しい選択だ。

いずれにしても西洋の相対的な力が衰えているのは確か。その西洋文明において国家破産の危機にあるギリシャは白人が優位性を感じる上で起点となった国家だ。(米国から遡って、英国、大航海時代、ローマ(イタリア)、ギリシャ) 元々米国の一般的な白人は中国の繁栄やモンゴルの栄華をあまり知らないが、彼等はギリシャがペルシャとの戦いを制し、そこから白人が地球を支配するのが正しい姿になったと信じている。だがそのギリシャの危機に加え現代の超大国米国が凋落を始めたならやはり我々は歴史の大転換点に立っているという事である。

ただ過去の事例をみても転換点は平和ではない。だが今は戦争の大義がなく戦場は経済である。その意味からもトヨタ問題はトヨタ自身に原因が内在したとしても、大局的に見れば技術立国日本とその象徴の企業が歴史の転換点で迎えた最初の試練である。そもそもトヨタの技術を支えた「報徳主義」(二宮金次郎の教えで初代豊田佐吉が家訓としたとされる)は西洋人には真似できない宗教の様なもの。そんな日本の会社にいつまでも国内市場を牛耳られたら困る。この様に焦り始めた米国にトヨタは絶好の攻撃のチャンスを与えてしまった。ソレを経済に困窮する米国人の気を引こうとマスコミが煽り、そこにGMを抱える政権が便乗した。

ところでトヨタ問題は米国史上で最大の集団訴訟になるとの見方がでている。現実となればリコールと並ぶ重荷だ。本日発表された資料によると、リコールに繋がった一連の欠陥が原因と思われる事故は800件余りあり、けが人が90人、そして死亡者が何と14人も出ているという。死亡者が14人?こんな話はこれまで全く聞いた事がない。一体どこからこんな数値を出してきたのか。マスコミは他社の統計を用意せず検証なしに一方的にこの数値だけ報道している。また訴訟は事故関係に留まらずトヨタの株主まで及ぶ模様だ。その株主の言い分とは、トヨタは欠陥車の事実を隠したた為、発覚後急激な株価下落に見舞われたというものである。

ここまででも明らかなように、最早これはトヨタだけの問題ではない。日本と日本企業がこれから更に敵対的になるであろう米国とどう付き合うかと問題である。そして中国とGOOGLEも然り、国家と他国の国家的企業がこれまでの蜜月を続けられる保証はない。大転換期での戦争はもう始まっているのだ・・。




2010年2月9日火曜日

QBの役割とアメフトの本質

スーパーボウルに先立って経済専門チャンネルのCNBCのリポーターが出場するNFLの選手にFRBのバーナンケの写真を見せた。そしてそれが誰であるか判った選手は5人の中で一人だけ。中には「ドクターフィルだろ」との痛快な返答もあった。(ドクターフィルとは米国の「みのもんた」の様な存在)のそしてこの国の失業率を聞かれると、彼らは臆せず50%と答えていた。

そもそもNFLの選手は現役時代には年間5億稼いでも、引退して10年も経つと100円も持っていないという話しが珍しくない。だがこの様な単細胞的な選手を使い戦略的にゲームを組み立てるのがアメフトの最大の面白さである。そしてそこがプレイヤー個々に心身ともに紳士としての技量を求めるラグビーとの違いだ。ずばりアメフトの面白さが判らないければ米国の仕組みは判らない。そして相撲や駅伝を愛する日本人より、或いはラグビーにエリートが集まる英国より米国が戦争に強かった事実にこのアメフトというスポーツの本質が凝縮されている。

そんな中昨日のスーパーボウルは久しぶりに2人の一流QBの対決で面白かった。そのQBはアメフトがラグビーから進化する過程で米国人が編み出したものだと聞く。初期のアメフトはラグビーに近く、肉弾戦のランプレーが主体だったらしい。ラグビーでもアメフトでもランプレーは第一次世界大戦までの地上戦の演習が背景。だが米国人にはボールを前に投げるのがなぜルール違反になるのかという発想があった。そこで新しいルールをつくった。これは長篠の戦いの発想である。そしてそこからQBというポジションの価値が生まれたと考えるのが自然ではないか。

要するに、ビジネスでも政治でも、米国と対峙する時は誰がコーチで誰がQBなのか。そして一見すると単細胞なキャラクターは全体の作戦でどんな役割を演じているのか。この辺りをイメージしないと結局日本は米国には永遠に勝てない気がする。そしてその意味で先日の朝青龍の引退劇は日本の社会に重要な課題を投げかける。その課題は言うまでもなくデフレ経済である。

そもそも個人的にはデフレが本当に悪いのかどうかの議論が必要だと考える立場。だが日本経済がデフレを本気で克服したいのなら朝青龍を否定してはいけない。なぜならガッツポーズが許されないスポーツは興奮を否定するようなもの。逆言うとインフレと成長が前提の米国にはそんなスポーツ競技はない。そして経済面の処方箋と日本社会の価値観が矛盾している証拠がある。それは日本人が横綱には品位を求める一方で戦後の停滞期にはその相撲の枠を飛び出した力道山に救われた事実だ。

そう。本当は日本人はデフレを克服するために必要なのは双葉山の品位ではなく力道山のカラテチョップである事を知っている。だがその矛盾を戦略的に整理する事ができない。だがそれでは米国を相手に誰がQBなのかはっきりしないままアメフトというゲームをやっているに等しい・・。







2010年2月6日土曜日

陰謀と金が渦巻くロンドン

最近慌ただしくなっている米中関係だが、我々の知らないところで中国は色々やっているのは事実かもしれない。すべてが本当かどうかは判らないが、共和党新聞では最近反中国キャンペーンが激しくなっている。参考までにその例を紹介する。

英国MI5の話として、CSIS (Chinese Secret Intelligence Service:簡単にいうと中国のスパイ組織)はオックス・ブリッジに留学していた中国人女性をそのままスカウト。ロンドンでアジア系高給売春婦に仕立て上げると、彼女達にトロイの木馬系のコンピュータウイルスが入った特殊なメモリーを渡し、来たる電気製品のコンベンションに集まる各国のビジネスマンに仕向ける企てをしていたという。現在この様な売春婦は60人程度いるらしい

また同じMI5の話として、最近のイスラム系テロは女性に豊胸手術をし、シリコンの裏に特殊爆弾を仕掛ける手法を画策中との事。妊婦を装った仕掛けは既に知られているが、ロンドンでこの手術を持ち掛けれた外科医の話では、こちらも実験段階の可能性がある事。

いずれにしてもこの様な話の舞台はロンドン。そしてそのロンドンのサザビーズではブロンズ像で最高値が出た。WSジャーナル紙によると中東系かロシア人が購入者と思われている様だが、個人的には中国人やメキシコ人でも驚かない。ただあのブロンズ像に104M(100億円)とは金が余っている証拠。これでは金利を低くする意味がない。近々金利市場は転換点を迎える気がしてきた・・


2010年2月5日金曜日

草食国家

先週末のニューヨークタイムスには中曽根元総理の特集があった。90歳を超えなお矍鑠とした姿を写した写真と共に、現在の日本の政治、自民党、そして今後の日米関係のあり方について、元総理の意見が掲載されていた。

彼はまず自分が総理になった82年と比べれば、今の日米関係は非常に優しい関係であるとの見解を示した。確かに80年代の日米貿易摩擦は激しかった。ただ当時の日本は米国という超大国にそれなりに立ち向かっていた。そして米国は円高という強硬手段に出た。結果日本経済は困窮したが、その苦境が内需拡大とその後のバブルを生む切欠になった。中曽根氏が総理だったのはまさにそんな82年から87年である。そしてこの日本のバブルはブラックマンディ後の世界経済のクッションとなった。その役回りは一昨年の金融危機後いち早く立ち直った中国の実需や南米の株式市場と同じである。

続いて中曽根氏はレーガン大統領との関係を振り返った。ロン・ヤス関係と言われたこの関係は日本では有名だ。ただマスコミと中曽根氏の自己陶酔とも思えたこの話も、あのラムズフェルド長官がブッシュとの関係が親密に見えた小泉首相を前にしても「自分の中で日本の政治家といえばナカソネ以外には思い当たらない。」と断言した事からもまんざらではない事が窺える。そして中曽根氏はレーガンとそこまでの関係になれたのは、冷戦という国際情勢もあったがむしろレーガンの個性と自分の個性がマッチした偶然性を強く主張していた。

確かに中曽根氏は風見鶏と言われながらもタカ派としては筋金入りだった。その証拠にあの時代に「日本は不沈空母である」と発言した彼には、米国の顔を窺うだけの今の日本の政治家からは感じない信念を感じる。そして敗戦後、海軍将校から政治家に転身した直後、まだ日本に駐在していたマッカーサーに単独で意見書を提出し、マッカーサーはそれを一瞥して捨てた逸話を交えながら、レーガン大統領とはお互いの信念が通じたと回顧していた。

さて、今の日本を眺めると、そこには冷戦もなければ政治家の胆力も昔とは違う。ただそんな中でも米国は淡々と戦略的に動く。そして一見ケンカばかりの政権と議会も必要があると外交案件では団結する。例えばトヨタ騒動だ。共和党のボブコーカー上院議員は殆ど案件でオバマ政権とは対決している。だが昨日彼はこの問題に関し「政治的色彩が強い」と警告つつも、いつまでも国家がGMの経営に関わる事はできないとの共和党の主義主張から政府の方針に賛成した。(トヨタの売り上げが落ちても厳しく処断する事)

この様に日米関係はロン・ヤスを頂点として低下の一途辿っているのは事実だ。だがそれも宿命。日本はその流れに憶してはならない。憶さず立ち向かえば、仮に摩擦が生じてもそれが次の時代のエネルギーになる事を学んだ。それが中曽根時代の内需拡大とバブル誕生のメカニズムであり、また古くは明治維新の発端となった攘夷である。(ここではバブルを敢えて否定的な表現はしない)そして今のデフレ社会の本当の恐怖は価格の下落ではない。それは独立国家として最低限必要な精神的な野生を国民から奪う事である・・。


2010年2月4日木曜日

黒船の効果

日本は深夜だったからよかったが、「アメリカ人はもうトヨタ車に乗ってはいけない・・」。こんな言葉を米国の国土交通省のトップが言ったらどうなるか。想像するにそれは黒船来航時のショックがトヨタ関係者と日本政府に走ったに違いない。たださすがにこの表現は撤回され、「トヨタ車を運転する全ての米国人は今すぐ運転を止め修理せよ」に落ち着いた。しかし米国でのトヨタ騒動はついにここまで来た。

この言葉を吐いた国土交通省長官のレイフッド氏は豊田章男本社社長を米国まで呼び出すという。理由は日本で生産するプリウスまで問題が出た以上、一連のレクサスの問題を含め、トヨタ本体のトップを呼びつける必要があると判断したという事。ただそれは表向きの理由。裏には見せしめ的意味合いもある。そしてそれは日本政府と日本企業に対してだけのモノではなく、米国が衰退を始めたという現実からの警告でもある。

そもそもレイフッド氏はシカゴ近郊の工場地帯の下院議員出身。そこはビッグ3の影響下である。そして彼は元々は共和党でありながらオバマ政権入りした人物。そこに共和党特有の思い込みの激しさが加わったのだろう。だがさすがに冒頭の発言には政権内と共和党から政治的すぎるとの批判が出て訂正をした。ただこんなところにも余裕を失う米国がポピュリズムという荒波に揺れ動く現状がある。

ところで「黒船来航」では米国の威圧にすぐ屈服した幕府の情けない姿を見て攘夷論が生まれた。結果的に攘夷という反骨心が日本を変えた。トヨタの問題はトヨタ自身が解決するとして、行き過ぎた米国の反応には日本も応戦する必要がある。「トヨタは米国から撤退してでもアジアに注力せよ。そして日本はもう米国債を買うべきではない・・。」

まあ実行しなくてもよいが、亀井大臣あたりがこんな発言することを期待したい。今は小国スイスが金融問題で米国の圧力に屈しない姿勢をみせている。駆け引きを含めてソレが金融危機が一服したこれからの世界の予想される姿だ。そして、レイフットの様な人物によって日本が米国一辺倒の長い眠りから覚める事ができれば、それはそれで黒船来航と同じ効果があると言うものである・・。


2010年2月3日水曜日

悲喜劇の裏側

しきたりや伝統で価値を維持する相撲会において、一門ではない貴乃花に一票を入れ、けじめをつけるために辞める・・。真相はしらないが、表面的には久しぶりに気骨あるカッコいい日本人を見た気がする。それに比べると国会の場でヤジでしか反論できない自民党や、小沢問題でうろたえる実力のない民主党議員。彼等からは個としての最低限の強さを感じない・・。

そもそも国会は法案審議の場。米国でも両院で審議が紛糾する事はあるが、その場で「政治と金」が混同される事はない。この差は体制の違いも影響している。米国では政府は大統領と大統領が選んだ閣僚で構成される。従ってその中に国会議員はいない。一方日本は議員内閣制。結果、「政治と金」がマスコミから煽られるとそれが内閣の話なのか、あるいは立法の問題なのか混同されたまま審議が止まる。

この様に、政府(内閣)と立法がこんな状態でも国家として許されるのは異常だ。そしてマスコミは同じ目線で騒いでもその異常性を括り出す事は殆どない。ならば本質は一つ。実質日本の舵取りをしている主役はやはり官僚という事になる。

国家としての日本がそんな喜劇(悲劇?)に興じる中、世界情勢は刻々と変わる。昨日発表された米国の新しい国防予算では米国は軸をアフガンからイエメンに移そうとする意図が窺える。ここでは兵士の新しい宿舎建設などの予算がイエメン近郊に割かれている。そしてアフガンでは必要なのは弾丸ではなく最早現金。それをいかに日本に負担させるか。米国は既にその戦略を粛々と実行しており、普天間に関して不気味な沈黙はそのカードである・・。




2010年2月2日火曜日

仁義無き戦いの始まり

今日のNYTIMESの一面には原型をとどめない白いレクサスが掲載された。まるで「ターミネーター」の撮影にでも使われた様な悲惨な状態。これを見る限り、車にどんな不具合がったにせよ、異常なスピードを出さない限りこの様な結果にはならない事は一目瞭然である。そしてこの車を運転していた本人が運転には長けたハイウェイパトロールの警官なら誰もその技術は疑わない。そこに録音された運転手のパニック状態の声。これだけをとるとトヨタの車が一方的に悪いと思われても仕方がない。だが真実はそんなに単純ではないはずだ。

多少のアクセルの不具合はどんな車にもある。そしてこのレクサスのケースでは、トヨタはアクセルに欠陥はなくマットを二重にした事が問題としたが、どうやらそれには正当な理由があった様子。なぜなら2008年までにレクサスブランドで同じ苦情があった6件のケースでは当局(NHTSA:道路交通全局)は欠陥を発見できず、原因がマットにあると言う事を納得していたという(NYTIMES)。これは今日まで知らなかった話だ。この事実から、あの惨状には高速道路で日頃スピード出す事に慣れている運転者の職業的な悲劇も重なった可能性を感じる。しかし真実が何であれ罪の重さの判断をするのは人間と国家。トヨタはこの判断を間違えた。

そもそもレクサスを作る愛知県の田原工場はトヨタの工場の中でも別格だと言う。そこは聖域とされ、技術力維持の為の努力はトヨタの真骨頂だった。だがトヨタは問題の事後処理を誤り、このレクサスブランドと米国内で生産するそれ以外の8車種とを一緒にされてしまった格好。元々のこの騒動の発端はレクサスの事故。私自身のこの車の「兄弟」に乗っているが、確かにマットは厚い。そこにゴムマットまで引いたら危険だ。だがその後に出てきた問題は米国内生産の8車種である。報道を見る限りこの8社種では死亡事故はない。だが今は全てが混同されてしまった。そしてトヨタが犯した最大のミスはレクサスの事故で田原工場の技術力を弁護する事に固執しすぎたためか、それによって米国の当局のメンツを潰した事だろう。そして今日のNYTIMESには、米国トヨタの米国人社長が事前にワシントンに呼び出され、そこでの尋常ならざる雰囲気を愛知県の本社に飛んで報告した模様が紹介されている。しかしそれでもトヨタ本社は生産中止までは決断しなかったという。だが先週終に当局が販売中止を迫った。これが今回の顛末らしい。 (NYTIMES参照)

いずれにしても技術だけでは勝てない時代が始まった。それは米国経済が市場原理を前提とした平和時の拡大期が終われば尚更のこと。今日のトヨタに関しの報道のされ方は大げさでなく金融危機で倒産に追い込まれていく過程のリーマンを彷彿させる。この状況を今の米国が70~80年代と同じ苦境に陥った事の一時的反動と考えてはいけない。米国のMEDIAは米国の成長が終わったとは絶対に言わない。だが業界は違えどGSとJPの関係を見ても然り、事実としてそれなりの大手企業は縮小を前提にした仁義無き戦いに出ている。

「サバイバルに情け無し」この変化はオバマ個人への期待の余韻が残る日本人説明する事が難しい。ただ経済だけでなくアフガン戦争などの政治面を含め、今日本が知らなければいけない最も重要な事である・・。