2010年9月30日木曜日

国民性への格付け




昨日の敵は今日の友・・これは戦国時代の話かと思いきや、今日のニューヨークタイムスの国際面は現代がまさにその時代である事を現わしている。そもそもロシアは本来快く思っていない中国と、尖閣問題後に対日領土戦略で協調歩調をとった。そして同紙の今日のビジネス面トップは、BP本社をクビになったヘイワード前社長が、BPとロシアとの折半会社であるTNK-BPに迎え入れられ、ロシア人と抱き合っている姿である。

覚えている人も多いはずだが、ロシアは経営権を巡り少し前までBPと袂を分かつ寸前だった。だが敵の敵は味方と言う事だろう、BPと米国の関係が悪化したと見るやもう仲直りである。

この様に、米国の支配が弱まり、国際情勢が流動化すると、世界は何でもありだ。こうなると国家間の約束事もこれからはあまり意味をなさない。その危険をやっと日本も尖閣問題を通じて感じたはずだが、そんな中でも日本が信用できる国があるとすればやはりドイツだろう。その証拠が以下のサイトである。

http://www.spiegel.de/international/germany/0,1518,720156,00.html

ここで紹介されているのは、ドイツは第一次世界大戦後、ベルサイユ条約で約束した賠償金の支払いを、来る10月3日に完了すると言う話。その内容からは今日に至るまでの様々なドラマが判る。

第一次世界大戦後、ドイツだけが悪者にされ、当時のドイツマルクで2690億マルク、ゴールドに直して96000tの巨額な賠償金が課せられた。29年に1120億マルクに減額されたとはいえ支払いの厳しさにドイツは行き詰まり、ベルサイユ条約の不当を訴え国民感情を味方にしたヒトラーは一気に頂点へ。そして第二次世界大戦後、西ドイツはヒトラーの登場で1/8の段階で放棄した第一次世界戦の賠償金の負債も履行する事を表明。そして何十年を経て、最後の利払いが10月3日で完了する。

記事からはインフレと額面との関連が定かではないが、いずれにしてもこんな大昔の負債を律義に払いきるのはドイツ魂の真骨頂だろう。逆に言えば、借金は返すという強い意志があるからこそ、この国は財政に対して厳しいと言える。

その点で米国はどうだ。これまでこの国を支えたコンセプトは、返せないほどの借金をしても、富への挑戦をしたモノは許されるである。そしてこの概念は債務者に甘い破産法に盛り込まれ、また金融のシステムの中でノンリコース(担保以上の負債は残らない)を可能にした。

ただこのコンセプトもこの国が未来永劫成長する事が前提だ。裏を返せば、成長がとまれば自分で尻拭いする覚悟がない限りこの国の国民性ほど日本やドイツとかけ離れた国はない。従って、米国は絶対に破産しないと考える人々は、ではなぜこの国にはチャプター7(破産法)やノンリコースの制度があるのかよく考えるべきではないか。この国で破産は戦略であって切腹ではない。

いずれにしても信用とは最後は人間としての使命感である。時に使命感は合理性の実を追求したルールの中では敗者になる事もある。だがそれでも個人的にはノンリコースなどといった無責任制度がある国を最後まで信じるのは愚かと考える。

そして冒頭の図表では、米系のゴールドマンサックスは、ドイツ経済を評価する一方で米国には厳しいことが判る。これは、GSは無意識の内に、現状の経済に加え、その国民性に対しても評価しているに等しいのではないか。表からはドイツにトリプルA、そして今の米国にはトリプルCがふさわしい・・。






2010年9月29日水曜日

敵は内にあり

日中関係ではフジタの社員が拘束され、民間の交流さえ氷ついている状態。ところが、米中関係では今日からバフェットとビルゲイツを代表とする一段が中国を訪れ、大々的なセレモニーが行われている。随行しているCNBCによれば、彼等の目的はバフェットが投資した電気自動車の会社を観る事。

だが、現状の中国の電気自動車のレベルとそこにビルゲイツまで同行している事を考慮すると、この訪問がオバマ政権の政治的な思惑に彼等が絡んでいる事は容易に想像できる。

そんな中、ワシントンポストは本日も尖閣問題をメインの記事で取り上げていない。昨日読売新聞は、米国でも尖閣問題の優先順位が高い様な記事を書いているが、いい加減この新聞が日本に間違った印象を流す事を止めなければならない。日本のメディアは、本当の敵は誰で、世界では今どんな戦いが起こっているのかを国民にきちんと伝える必要がある。

その事例として今日の各紙の一面トップは面白い。どこも北朝鮮だ。日本や欧州などの政治体制の比較的落ち着いた社会を除けば、北朝鮮しかり、中国も次期周金平体制に向け、団派と太子党の勢力交代が言われる国内政治の権力闘争が最大の懸案である。

それは米国とて同じ。2年に一回の中間選挙が迫り、下院での共和党の躍進はほぼ確定しているものの、上院の趨勢はまだ未定。そこに新しい現象として低落基調の民主党の支持率よりもオバマ個人に対する評価が初めて下回る現象が起きた。この意味は大きい。

オバマの個人の支持率が下がった理由は今日発表されたセンサスビューローの数値で説明できる。そこでは、2009年金融危機以降、米国内の貧富の差は更に拡大していた。これではオバマの支持層は救われない。

丁度良い例がニューヨーク。ニューヨークではアパートの賃貸料は株価の戻りと連動してじり高である。ところが、州が経営する公共のアパートの家賃の延滞率は昨年に比べて30%も悪化した。つまり、金融とその周辺ビジネスが活況になる中、同じニューヨークでも、公共のアパートに住む中間層以下はかなり疲弊していると言う事。彼らはまさにオバマの支持層だった人々。彼らの失望は明らかである。

この様に、中央銀行の供給した潤沢な資金に囲まれた金融市場関係者や大企業の経営者のコンフィデンスは拡大している。一方で一般の消費者の限界点は近い。だが政権は今の政策を変える事は出来ないだろう。なぜなら、この状況では税収の原資が個人の富裕層と大企業に特化しているからだ。

そして、この矛盾が噴き出すのは中間選挙後だろうが、米国にとっても最大の敵はやはり不満を抱えた国民。つまり今の米中はともに最大の敵は国内にある。日本はそこを勘違いしてはならない・・。




2010年9月28日火曜日

亡国の現実化

週明けのワシントンポスト、WEB版では国際面で日中関係の記事を見つける事は出来なかった。一方ニューヨークタイムスは淡々と尖閣諸島を巡る日中の状況が好転していない事実を伝えた。ではワシントンポストが国際面で力を入れた記事は何か。それはイスラエルがヨルダン川の西岸に入植を再開した事である。

この事実が示す様に、日本がアメリカの介入を期待しているなら、今の米政権にとってはその懇願に答える優先順位は低い。もちろん米国と中国の期限付き「不可侵条約」がまず先ある事を忘れてはならないが、仮に米国が日本を助けたいと考えても、この国際情勢の中で今の米国の力は限定的だ。

そもそもアッバスとネタヤフがオバマを交えて握手をしたのは9月2日である。そして一カ月もたたないうちにイスラエルが米国の仲介を全く無視する行動にでるのは過去のパターンと照らし合わせてもあまりにも米国軽視である。こんなバカにされた米国は記憶がない。これはオバマ政権にとっても由々しき事態。日本の事などかまっていられないのは当然である。

この様に、今世界からオバマ政権はその弱腰に付け込まれている。その弱腰のオバマ政権の実態を見誤っている日本。中国も、米国のこの姿を知っているからこそ船長を返しても姿勢を崩さない。つまりは中国は日本の反応など最初から相手にしていないのである。

この問題でいまさら中国をなじっても遅い。これらは全て米国の傘の下で長年リスクを取らず、また時代が変わったにもかかわらず、触角(感度)を失ったために自分でシナリオを描けない日本の自業自得。そして管政権がこの期に及んで米国の衰えやオバマ政権の特徴を客観的に分析にする事もなく米国を頼るだけなら、日本は既に終わった国として処理されるだろう・・。





2010年9月24日金曜日

米中不可侵条約

本日中国は、日本に対し、希少金属の輸出禁止のカードを切ったと伝えられた。だがそれは米国でワシントンポストの朝刊では否定されていた。しかし否定は日本のメディアよりも米国の方が早く入手しており、つまりは日中間の話も米国経由で入った事を示唆する。

これは温首相がニューヨークに滞在中であることを差し引いても、日本にとっては失礼な話。そしてニューヨークタイムス紙は、中国は米国に軍事交流の再開を申し出たと伝え、一方管総理は温首相との面談を断られたとも伝えた。ここも日本のメデイアが後手に回る展開である。

ところで管総理はオバマとの会談に臨む。鳩山時代から数え日本の首相がオバマと面会したのは3回程度か。だが同時期に胡錦濤とオバマの会談は6回以上に及ぶ。日本はそんな回数を気にする必要はない。だがこれ程まで当事者としての日本を無視した米中のやり取りから日本は何を感じるのだろうか。

そもそも今回は中国は尖閣問題で日本を小突く事で米国を助けた。親中派とされる小沢が代表選で敗れ、目先は日中関係で激変はない。ならば一旦日本を揺さぶり米国をの出方をみる。これは当然の常套手段である。

日本は思惑通り米国に助けを求める。米国はその見返りに日本にアフガンの軍事費の一部負担(これは日本人は全く意識していない)、更に沖縄の負担増、また米国債の買い手として盤石な姿勢を見せる事を要求する。中国にとってそれらは構わない。なぜなら中国が日本から得たいモノと、米国が日本から得たいモノは違う。

言うまでもなく中国が日本から一番欲しいのは技術。そして米国が日本から一番欲しいモノは金である。この様に、米中が裏で結託している間は、アジアの利権で日本は米中から順に脅され小突かれる。そして彼らが対峙するその時まで、日本の部位を徐々に吸収していく。これはポーランドと同じだ。

第二次世界の直前、ソ連とナチスドイツの間で弄ばれたポーランド。ただ、それは弱小だった当時のポーランドの仕方のない運命だった。それに比べ実際は大国の日本。その日本が自分から当時のポーランドと同じ運命を選択しようとしているなら嘆かわしい。

いずれにしても本質は「米中不可侵条約」の始まッたと言う事だろう。第二次世界大戦の前哨は独ソによる東欧の分断支配。ポーランドやルーマニア、更にはフィンランドなどの当事国には秘密のまま、当時英米からは犬猿と見られていた独ソは実は密約を交わしていた。そしてポーランドは完全に分割され、フィンランドは最後までソ連に抵抗したもののバルト隣国はソ連に取り込まれた。

ただソ連に屈しず最後まで独立を貫いたフィンランド。同国にはトーゴーというウオッカがある。この酒は日露戦争の英雄である東郷元帥を称したモノだ。ソレに比べ今の日本はどうだ。ここまで米中に弄ばれても立ち上がらろうとしないのか。

自分の国は自分で守る・・。こんな当たり前の事を言い出せない今の日本の腰ぬけ政治家。こんな連中が集まって経済対策を考えても無駄だ、こんな弱腰では結局市場からもバカにされて終わる。困窮する経済も本当は活路はある。それは簡単、日本がプライドを取り戻した時、自然にデフレスパイラルも終わるだろう・・。






2010年9月22日水曜日

長い道のり

この国が健全だった頃、日本との違いで明確だったのは、たて前や形式ではなく、現実を直視し、素早く原因を突き止め、そして改善に向かって合理的に進むスピードがあった。

今もその伝統が完全に失われたわけではない。だが、昨日政権が金融危機に端を発した不景気は、昨年の7月に終了していたとする声明を採用したことは、これでこの後景気がどうなろうとも、ダブルデイップの定義が適用される可能性が無くなっただけで、今のこの国の現実の苦境には全く意味のない話である。

こんな話で選挙情勢が変わるとは思えないが、もし政権が意図して形式を重視したなら、米国の日本化もあながち否定できない。

さて、そんな中で今週のエコノミスト誌の表紙は面白い。それは砂漠の中、長い道のりを一人ポツリと進む星条旗を掲げたバス。テーマは、今の米国は回復過程の何処にあるのかという問いである。

そもそも個人的に米国は本質的にまだ長い凋落過程にあるという立場。よってエコノミスト誌のテーマには答えられない。ただ記事の結論には同意する。その結論は次の通りだ。

Americans are used to great distances .The sooner they, and their politicians, accept that the road to recovery will be a long one, the faster they will get there
「昔のアメリカ人は知っていた・・。回復への道のりが長ければ長いほど、ソレを早く覚悟する事が一番の回復への早道である事を・・。」

だがエコノミスト誌の英文は暗にその伝統を否定している。つまり、今の米国人にはその覚悟がない。だからいつ真の回復過程に到達するかは未定という事である。

まあ米国だけではない。今衰退期を迎えている先進国の選挙戦はどこも誰かに責任をなするつけるだけの応酬。つまりはソレが民主主義下の市場経済の限界点である・・。




2010年9月18日土曜日

鬼畜米英

93年、死んだ米兵の死体を弄ぶソマリアの人々の写真がTIME誌の表紙になった。また2002年、その紛争を忠実に再現した映画ブラックホークダウンは米国の若者に強烈な印象し、バグダットを目前に実際の市街戦に初めて突入する米兵を緊張させた。「そこまで米兵が憎いのか・・」93年、TIME誌が掲載した無残な写真を米国赴任の飛行機の中で見た衝撃は今も覚えている・・。

この憎しみは仲間や肉親を殺された当事者になってみなければ判らないのだろう。ただそんな残酷な事を日本人はしないと思っている多くの人に、NHKは果敢に挑んだ。昨晩こちらでも放送されたNHK特集は、終戦間際、乗っていたB29が撃墜され、パラシュートで阿蘇山の麓の村に舞い降りた11人の米兵の運命。7人は捕虜になり、4人は村人に追いつめられて殺された・・。

驚いた事にNHKはGHQが保管していた米兵の解剖写真まで見せた。白骨状態の顔は完全に陥没していた。そしてGHQによる犯人探しの調査にも口を開かなかった村民。当時その様子を子供として見ていた何人かの住民が、65年を経て、今NHKの取材に重い口を開いた。

「鬼畜米英」、本土決戦を控え、徹底した軍事教育と肉親を殺された村人は、米兵を村田銃で打ち抜き、まだ息のある米兵の心臓をカマで突きさした。血しぶきが飛んだこの様を観ていた少女は、自分は可哀そうだと感じたが、周りの大人は狂気と化していたと証言した。そして少年だった老人は、戦争で子供を殺された近所の母親が、死んだ米兵の死体に、「息子の恨み」と叫びながら竹やりを突きさしていた姿を今も忘れられないという・・。

「日本人は恐ろしい。だから起こしていけない。眠らせておくのが一番良い。」これは、世界を驚かせた米中の突然の国交樹立の前、毛沢東との秘密会談に臨んだキッシンジャーの言葉とされる。日本人との戦争を戦った彼等が恐れたのは、普段はやさしく勤勉だが、従順であるがゆえに暴走すると何をするか判らない当時の日本人の国民性であった事は言うまでもない。

だが時代は変わった。今の米国の内情を知り、またその米国から今の日本を観察する自分が、今の日本人に感じる一番の恐ろしさは別だ。それは、今の日本人が自国の過去にあまり興味を示さない中、彼等の世論で発足した第二次管内閣が真に米国の傀儡政権の様であっても、多くの国民は違和感を感じなくなっている。そしてこれほどまでに客観性を欠いた米国への編重に対する意識の欠如が今の日本人から感じる最大の恐ろしさである・・。




2010年9月16日木曜日

YES, SHE CAN・・ 女傑天下

本日ゴールドマンでは3人の女性社員が昇進の不平等を理由に会社を訴えた。ただ一人は既にMDまで昇進している。事実はともかく、トレーダーが集まるツイッターにはどこから手に入れたかもうこの三人の女性の顔写真が掲載された。

確かにやや下品なトレーダーの行い。これで思い出すのは以前在籍した米系大手。ここでも90年代に同様の訴訟が起こり、ちょうど自分が入社した1999年にそれまで平社員だった女性の数十人が一斉にMDに格上げされた。

恐らく、業界のこの風潮が彼女らに行動を起こさせているのだろう。男性の一人として判らなくもないが、ただGSはともかく、この様な事を理由に無理やり昇進させても絶対にうまくいかない。それは誰よりも早くその米系を見限った自分が一番知っている・・。

ところでこのコメントを書いている間に重要なニュースが飛び込んだ。金融機関と共和党の大反対の中、金融改革法案の目玉の一つだった消費者保護観察庁(仮称)のトップにオバマがどうしても据えたかったエリザベスウォーレン女史は、金融担当アドバイザーとして政権に横滑りすることになった。

これはGSを始めとする金融機関全てにとって朗報。なぜなら、ハーバードの教授から、金融危機後にTARPの整合性を判断する調査委員会のトップとして、ポールソンやガイトナー、更にはバーナンケを含め、これまでの米国の金融システムの全てを糾弾していた彼女がこの強大な権力を有する新しい監督官庁のトップになっていれば大変な事態だった。

一方で国家は時に大胆な変化も必要。来る上院選の予備選で、べテランの男性現職下院議員を打ち破ったTEA PARTYの女傑の一人、クリスティーオドネル女史ではないが、ビルクリントンが言った、TEA PARTYの候補者に比べれば、ジョージWブッシュの方がまだましだというこの国の変化を怖いもの見たさで見てみたい気がする。ただ彼等が共和党の代表になっても、あまりに保守的だと独立層の支持は得られない。

そして、サラぺイリン女史ではないだろうが、仮に女傑の誰かが大統領候補なれば、民主党はヒラリーが受けて立つ可能性が出る。因みにタイトルのYES SHE CAN はオバマがいるにもかかわらず、2012年にヒラリーを担ぎ出そうとする民主党の勢力の隠語である・・。




2010年9月15日水曜日

時価総額が消滅する日 顧客向けレターから

それにしても株は薄い。そういえば昨日CNBCのインタビューに答えたルネッサンスファンドのジムサイモン氏は、5月のフラッシュクラッシュの暴落を美しい市場の結果と表現した。あの一件に彼のファンドは無関係だろう。ただ本来は市場においてマイナーな存在でなければならないアルゴリズムが目立ち過ぎるようになった。そして、皆がトレーデイングのシステム開発にやっきだが、彼等が勝ち続けるためには素人参加者が無尽蔵に存在する事が大前提のはず。

一方で、ジムサイモン氏の様なシステムトレードの専門家も含め、CNBCに出てくるファンドマネージャーの殆どが、BUY AND HOLDの時代は終わったと言う。では、これほどBUY AND HOLDの時代は終わったと言われ、それで一般投資家が本当に市場に戻るのだろうか。その意味では今の出来高はお寒い。個人的には政府によって救われた金融市場関係者の奢りをその解説の中に感じる。

そして、ジャブジャブの金融市場で彼等は気付かないかもしれない。今、あまりにもマネーがチープなため、マイクロソフトなどのハイテク企業では、本来無借金でありながら借金を起こして流通株式を出来るだけ償却する計画が進行している。理由は簡単。株を買い戻すための金利負担より、株式の配当の方が重いからだ。

恐らく良い会社ほど同様の潜在的ニーズはあるのだろう。この現象は一時的に個別株の買い材料かもしれない、だが最後は時価総額が消滅する話である。つまりは、我々が無意識の内に、究極的には資本主義の根源としての株式市場の役割は実は既に終わっているかもしれないと言う事。ならば今我々が観ているモノは何だ。

いずれにしても、こんな危ないところにこの国のベービーブーマーが戻る事はない。あるとすれば、その時は市場原理が公式に終わり、国家社会主義経済の一部として衣替えをした後。まあ一部は既にその時代を前提にしているのだろうが・・。





2010年9月14日火曜日

ハドソン川の窓際

息子のサッカーの試合で郊外の高校まで足を伸ばした。オヘア空港から更に30分程車で北西に行ったバーリントンという街だ。白人中心の街で、その街の公立高校のバーリントンハイスクールには、フットボールのスタジアムの横にサッカーコートが2面、更に野球場と陸上のトラック&フィールドが併設されている。

富裕層にこれだけの施設、毎年シカゴトリビューン紙が発表する、奨学金で大学に行く優秀な高校生がこの高校からも沢山出ているのは当然だ。ただあまりにも広く、敷地内で迷ってしまった。そこでクラブ活動で開いていた校内に入ってみた。すると廊下には見覚えのある男性の写真。ブッシュ政権下で財務長官だったポールソンだった・・。

彼が財務長官を引退した後、ワシントンの家を引き払い、家族が住むこの街に住んでいるのは知っていた。彼はこの街で珍しい爬虫類といっしょに暮らしている特集があったからだ。だがこの高校の出身だったのは知らなかった。

そんな中、今日のニューヨークタイムスには、彼が会長を務めたゴールドマンサックス(以下GS)は、2年一回、11月に発表される新パートナーの昇進と同時に、異例だが、今年は60人以上のパートナーから平社員への降格人事を発表するという記事があった。

GSのパートナーは現在380人前後。社員の1%に当たる。平均在任期間は8年だが、パートナーになればその平均年収は恐らく10億円は下るまい。そして2年一回のパートナーへの昇進者の発表の際には人知れず降格人事も必ず行われていたらしい。ただ今年はその人数が突出して多い。

通常社員の首切りはGSでも珍しくない。だが、ウォール街の出世の頂点と言われるGSのパートナーまで上り詰めた人材を降格させるのは確かに非情。それもここまで大人数となると、事前に記事になるのは必定だ。

その昇進者にはポールソンや、今ならブランクファイン会長が直接電話を掛けるのが習慣らしいが、今年これだけ人数の入れ替えがある背景として二つの理由が紹介されている。まずは収益のプレッシャー。新金融改革法案やボルカールールなど、GSを直撃したルール改正は多い。そしてもう一つは、金融業界を巡る環境の激変がスタッフの新陳代謝を妨げているという経営の判断らしい。

そもそもこれまでGSは、一流の人間が保身目的に組織にしがみつかないという伝統があった会社。だが「GS出身」の金看板が効かず、保身にならざるを得ないとしたら確かに組織としては危険な兆候。ならば強引に新陳代謝をするのみか。

ソレが断行できる間はGSは大丈夫だろう。そして、パートナーで無くなっても、会社はその人事を発表する事はないがハドソン川に面した新しい本社の個室は取り上げられる。ならば結局は皆の知るところとなる。

そこまでプライドを傷つけられても会社に残ろうとする人が出るなら、それはGSという組織の話というより近未来の金融業界の地盤沈下が近い事を示唆する。ハドソン川の窓際族は、ウォールストリートの頂上が下がってきている事を象徴している。




2010年9月11日土曜日

ヤワラちゃんの一票

NHKのニュースで小沢一郎の支援に電話をかけまくるヤワラちゃんの姿が映しだされた。9月14日の投票日、新人議員の動向がカギと言われる中、彼女がどちらの側についたのか興味があった。やはり彼女は小沢だったか。

ちょうど今、柔道の世界選手権が東京で行われている。日本人の柔道は美しい。柔よく剛を制す。日本人でも体力に勝る外国人に勝てるのだ。だがソレは果敢に勝負を挑んでの事。列強に向かって腰が引けている今の日本の政治ではどうにもならない。 

そういえば、日米関係で日本が台頭に米国に勝負を仕掛けたのは、個人的記憶では90年代の中旬が最後だ。同世代として小沢のライバルだった橋本竜太郎が、大蔵大臣として、「あまり米国が横暴なら、日本は米国債を売る・・」と脅した。翌日、T-BONDは大暴落をした・・。

こんな逸話を知っている日本の市場関係者は今どれだけ現役だろうか。そんな中、昨日管総理は「日本が為替市場に介入をした際には、悪い事は言わないようしてほしいと欧米にお願いした・・」と記者会見でバラしてしまった。

あまりの情けなさに言葉もない。こんな総理を担ぐ連中は、中堅だろうが新人だろうが、理論は出来てもとても勝負には勝てないだろう。特に今の金融市場は海賊のポーカーゲーム、これでは円高も止まらない。

まあ管総理の続投が決まれば、直にも日本のへっぴり腰を市場が証明するだろう・・。 




2010年9月10日金曜日

民主党の本性

今日のワシントンポストのトップは二つのイスラム関連の記事。一つはフロリダの教会がコーランを燃やすという脅し。そして二つ目はニューヨークのテロ跡地へのイスラム寺院建設に対して、米国民の6割が反対している話だ。そして、日本のニュースではWEB読売の見出しに「米国は同盟国として日本を格下げ」があった。

そもそも何から話していいか判らないが、一つ言えるのは、米国内で苦境の民主党は、その民主党を陰で操る勢力がついにその本性を現わした始めたという事。背景として、ワシントンポストの記事は不自然であり、そしてその米国の手先の様な意見を一番掲載するのが読売である。

まず、本当に教会がコーラン燃やし、米国政府がソレを黙って見ているとすれば、それは米国は認めたという事。国には止めさせる法がないという説明はおかしい。なぜなら大統領には国民の安全が脅やかされる国家の緊急時には、超法規的な権限がある。コーランを燃やせばイスラムへの宣戦布告。これはキリスト教国家である米国市民の安全に直結する話ではないのか。強制的に止めさせないのは米国は黙認しているに等しい。

また雑多な大都会であるニューヨークのモスクの話は、世界のコスモポリタンであるニューヨーク市民が建設にある程度の柔軟性を示している。一方絶対反対なのは、ニューヨークへ行った事もない地方の人々の話が中心だ。記事に出た反対意見もオハイオ州の女性の話だった。

日頃はヤンキースが大嫌いで、都会の人を快く思わない地方の人がなぜこんな時ばかりはしゃしゃり出るのか。国民の心情はそのとおりだろう。だが「6割の国民が反対している」としたワシントンポストの表現には矛盾がある。

数年前、この国では、共和党は経済を理由にした限定的侵略戦争を好むが、民主党はもっと大掛かりな国際戦争を好むとした。昨日のクルグマンのコメントではないが、オバマ政権が現在行っている国力回復の通常手段に限界が見えた場合、次はヒラリーを担いでの非常手段に出る覚悟を感じる。

その時に日本はどうするのか。その意味で、ヒラリーがアジアの同盟国の連携で、日本よりも韓国の国名を先に挙げたコメントを持ち出し、米国からの日本への警告だなどと解説しているとんでもないメディアが日本に存在する事には絶望感を感じる。

この読売に煽動される程、今の日本人は馬鹿ではないと信じているが、オバマ政権が昨日打ち出した投資減税をそのまま真似し、翌日に日本国民に向けて発表する今の管内閣の独自性の無さにはあいた口がふさがらない。

まあ米国に脅され、中国に小突かれ、それでも怒らない・・。こんな戦う魂を失った国がデフレを克服することなどできない。日本の命運はやはり決まっているが残念である。



2010年9月9日木曜日

必要は …の様なモノ

本日オバマは金融危機後としては2回目になる経済対策を発表した。一回目は大統領に就任早々の2009年、総額80兆円に上る経済対策を発表した。そして、一回目の支出がまだ終わっていない中、本日減税を中心とした新たな20兆円の経済対策を発表したのである。

ただそもそも今回の発表の本質は景気対策というより選挙対策。中間選挙で苦戦が予想される民主党議員を少しでも応援するための話である事は明らかである。だが前回の80兆円が効果を上げていない様に、今の米国の苦境はこの程度の対策でどうにかなるものではない。

そんな八方ふさがりに憤慨し、ノーベル経済学者のクルグマンが先週ついに「…の様なモノ」が必要だと言ってしまった。「…の様なモノ」とは戦争の事である。彼は米国は第二次世界大戦への参入に際し、当時のGDPの2倍、今日の金額で3000兆円の財政拡大を断行した事を触れている。(記事参照) 

国家の危機という異常事態の中、3000兆円の膨大な財政出動を断行した当時と比べれば、オバマ政権の前回の80兆円と今回の20兆円、合わせ100兆円にしかならない経済政策は、クルグマンには子供だましの政策に映るのだろう。

確かに、1000万人が徴兵として「新規雇用」され、太平洋戦争だけでも7000隻の軍艦が造られ(リモデリングが多い)、億を超える銃器と4兆発の弾丸が製造された需要は巨大だった。だがクルグマンよ。貴方は経済学ではノーベル賞を貰ったかもしれないなが、歴史と自然科学、つまりは万物の原理で米国は最早1938年に戻れない事を知るべきではないだろうか。

そもそも資金調達で70%を外国の資金に頼る今の米国にとって、100兆円の新規調達も大変な負担である。「米国にはソブリンリスクがない」というこれまでの概念が、欧州や中国では揺らぎ始めている現在、オバマ政権も非常に神経質になっている。ソレを現わしたのが今日の発表の仕方。政権は今回の対策は減税を中心に効率を優先、決して支出優先ではないとメデイアに強調している。

そこまで強調するのは、クルグマンの言うようなとんでもない金額を言い出せば、米国の金利が上昇してしまう事を心配しているからだ。今この国が一番怖がる事、実はそれは金利が上がる事である。

デフレ懸念で日本人がせっせと米国債を買ってくれている間まだ安心。だが景気が回復する前に金利があがるソブリンリスク(国債の信用危機)と、スタグフレーション(不景気だが金利上がる現象、70年代オイルショックが例)になると、今の米国はアウトである。

その時はクルグマンの言うように本当に戦争でも始めるしかない。だが、敵を造ろうにも、今の時代に米国だけの都合に付き合う国は限られている。前回待ってましたの敵になってしまった日本は今は属国。ならばその植民地からできるだけ富を吸い上げ、新たな策が出るまで時間を稼ぐ事が今の米国の日本統治の本質である。

だが日本の献身にも限界がある。吸いつくされた日本がボロボロになるのは戦後の日米関係を断ち切るうえで越えなければならない運命として、ソレでも米国が立ち直るシナリオはまだ自分には見えない・・。


参考: クルグマンの記事

http://www.nytimes.com/2010/09/06/opinion/06krugman.html?_r=1



2010年9月8日水曜日

マネーは眠らない

これから株の上昇を期待する立場にとって厄介なのは、実体経済もそうだが、実はメディアによるウォール街への攻撃がまだまだ終わっていない現状も懸案である。まず9月24日にはあの 「WALL STREET Ⅱ マネーは眠らない」が公開となる。絶対に続編には出ない・・と言うポリシーだったマイケルダグラスは、映画界におけるウォール街批判の二大巨頭であるオリバーストーン(もう一人はマイケルムーア)の、この映画は絶対に作らなければならない・・という熱意に答え、ゴードンゲッコー役に再び挑んだ。だがその重圧と関係するかどうかは判らないが、彼は深刻な食堂癌になってしまった。

これが彼の最後の作品にならないように祈るが、オリバーストーンがこの新作で追及するのは、87年の前作の際にはゲッコー自身(マイケルミルケンがモデル?)が個人として突出した「社会悪」だったが、彼が刑務所に入っているこの20年間に、世の中は金融機関全体が海賊化し、そしてその海賊を国家が助ける様になった。その社会に対し、ゲッコーは再び個人として挑戦する・・。という展開らしい。(本日CNBCにゲスト出演した彼の言葉) 

確かにあの時代は突出しすぎた個人を描く事でマネーの世界の異常さを描く事が出来た。だが今は社会全体がマネーに支配され、そこで起こった金融危機で、現代人は完全に理性を失った。この時代を刑務所にいた事で客観的に眺めたかつてのマネーの悪人。この主人公を使いながら、今の世の中の矛盾を逆に追及する演出はさすがオリバースートン。公開が楽しみである。



2010年9月2日木曜日

9月の誕生日

9月には、40回を超えてからはなるべく忘れるようにしている誕生日が必ずやってくる。その意味であまり望ましい月ではないが、CNBCによると、本日9月2日はキャッシュカードの誕生日だという。(据え置きのATMマシーンではない)。さすが米国。それを知って驚いたのは、キャッシュカードよりクレジットカードの方が歴史が古い事。クレジットカードの誕生日はそれから10年遡る1958年の同じ9月17日。当時のバンクオブアメリカが、カリフォルニアの消費者に配ったのが最初である。

ただ、消費者による日常クレジットの原型は、1949年にフランクマクナマラと言う人が、レストランで食事をした後、財布の中に現金が無い事を知り、慌ててワイフにレストランに現金を持ってくるように頼んだ事に端を発する。その経験から、彼はニューヨークのレストランで後払いのプログラムを普及させた。そして、そのプログラムの参加者をダイナースクラブとした。

これが現在のクレジットカードの「DINERS CLUB」の発祥となったのはお察しの通り。そして財布に入るあのカード原型は10年後カリフォルニアで普及した。ただ、面白いのは、クレジットカードの発想がニューヨークで生まれ、その普及はカリフォルニアで広がるという現在の米国の風潮の原型がここでも生きている事である。

そういえば個人的にクレジットカードを初めて観たのは1983年だった。当時は大学生、この頃の日本はやっと皆が普通にキャッシュカードを持ち始めていた頃。そしてアルバイト先の京王プラザホテルのラウンジで、会計の際に「VISA 」と書かれたカードを出された。その時につい言ってしまった。「お客様、キャッシュカードは使えません・・」その後、マネージャーに怒られた・・。

いずれにしても、現金主義の日本人と、クレジット主義の米国人は、電池の電極のように離れる事は出来ない宿命である・・。





過失の罪、トリプルCのトリプルA

本日SEC(証券取引監視委員会)は格付け機関のMOODYSに対する詐欺罪の起訴を取り下げると発表した。この嫌疑は、2006年に格付けをするためのコンピューターシステムに欠陥が見つかり、格付けが本来のリスクを反映していない事が社内で認識されたにもかかわらず、同社が格付け変更の手続きを意図的に取らなかった事に対する嫌疑だった。

既にSECはその証拠として、社内会議の資料や、上司が担当者にMOODYSそのものの評判を守るために、格付けの変更を行わないよう指示したメールまでも押さえていた。ではなぜSECは起訴を取り下げたのか。ワシントンポストには、SECは起訴を継続したかったが、法律上の限界があり、断念させざるを得なかった経緯が示されている。

全く知らなかったが、そもそも格付け機関は長い間どこの管轄当局にも属していなかったらしい。MOODYSは1909年創業の上場会社。その株式を巡る決算などの整合性は当然SECの管轄だ。だが記事によると、格付けをする業務のプロセスの正当性をチェックする法律はなく、2006年になってやっとその方向で格付け機関は本業においてもSECの管轄下に入ったらしい。だが当時の法律は十分ではなく、証券が欧州で発行されたモノや、そもそも行動が国外の場合は全く起訴できないらしい・・。

そもそも人間社会を不幸に陥れる大惨事は、故意のモノより過失が原因の方が実際の件数は多いのではないか。だが、法律では過失は許される事が多い。その典型が、皆で赤信号を無視した結果のあの金融危機である。そして今日は偶然にもリーマンの元会長が金融危機調査委員会の呼びだしてワシントンで証言をしている。彼は「みなやった事は同じだった。だが政権はリーマンだけを助けなかった」と証言した。

金融危機直後は何を言っても悪者にされた彼も、今日の証言はどこかに説得力がある。そんな中で危機を招いた張本人の一人であるMOONDYSが無罪放免。SECとしても今回は過失どこころか故意による部分までも見逃すのはやはり忸怩たるモノがあるだろう。そして新しい金融法案では、格付け機関は当局の管轄に入った。だがそれでも銀行などと比べれば縛りは緩いらしい。(ワシントンポスト)

ところで、日本にはまだまだ米国の格付け機関の格付けを重視する人がたくさんいると聞く。そもそもルールがそうなっているとの話もある。ならば日本の当局は知っているのだろうか。この実態からは、MOODYSの格付け等は、実質トリプルCの会社(MOODYS本人)が発行したトリプルAであった事を・・。

いずれにしてもMOODYSは起訴が取り下げられて安堵している様子。だが市場が本来の原理を取り戻せば、まず駆逐されるべきは彼らでなくてはならない・・。