2011年6月15日水曜日

強国の条件 ソブリンリスクの考え方

ここでは民主主義が資本主義を標榜するなら絶対に中間層を無くしてはならないとしてきた。なぜなら貧困が多数になれば、民主的な多数決で資本主義の否定につながる救済を止められないからだ。その意味で米国はメキシコになる前に完全社会主義国家に変貌している方が先か。そういえば面白い現象が始まっている。それは債務者が銀行をフォークローズする話。このケースでは銀行が追い出されるのだ。フロリダでは今年既に二件起きている。一つはWELLS FARGOが課した保険が実勢に対して高すぎると債務者が訴えたところ、同社に不利な裁定が下り、債務者は保険金の返還を要求した。ところが同社は無視し、怒った彼は裁判所に訴え、裁判所は強制的にWELLSFARGOの支店の物品をすべて売却する権限を発動した。同様にバンカメが間違ってフォークロージャーを開始した家のオーナーがバンカメに損害倍賞を求めたところ、バンカメの反応が鈍く、このケースでも裁判所は銀行の支店の資産を強制売却する手続きが発動された。この二つケースでは銀行はかなりのぺナルティーを払い事態を収拾する羽目になったが、裁判所の裁判がいかにトレンドに影響されるか。民主主義の悪癖を知る銀行はますます動けなくなるだろう。

それに比べるといざとなれば裁判もデモクラシーも重要ではない中国は盤石に見える。既にバブルが崩壊しかかっているとの声がある中でも平気で金利を上げた。今中国では貧富の差で暴動が起こっているらしいが、ではそれで国家が転覆するのか。その可能性を心配するより、今の中国が持つ国家の動力性は民主主義の悪癖面が出ている米国より魅力的だ。つまり個人的には中国よりも米国の方がソブリンリスクは高いと感じる。同様に、中国とインドを同列に扱うのもよく考えるとおかしい。そもそも中国とインドのインフラの差は比較にならないと聞く。一説には民主主義体制下で民間に経済発展をまかしたインドと、国家が先導して道路や鉄道を整備した中国の違いだという。そして中国がモノづくりから経済発展を考えたに対し、インドは数学に強いのが災いしてかサービス産業編重が興った皮肉があるという。なるほど。結果インドでは牛が道路を寸断するのは最早驚きではないが、米系のアウトソースセンターで働く知的労働者が、いまだに都市部のオフィスでも雨水を貯めた貯水の水を飲んでいるという。(NYTから)

そして、元々多種多様な人が集まり、成長を目指したはずの小世界米国の現状は厳しい。米国は国債発行上限の空論で時間を費やすよりも、あれだけ騒いだにもかかわらず、金融に頼るがゆえに600兆ドルのデリバティブに結局手を付けられない現状を冷静に考えた方がよい。では日本はムーデイーズに振り回される一方で中国が出す格付けを笑うだけでいいのだろうか。個人的には民主主義と資本主義の両輪が脱輪した国より、国家としての動力を維持する国の方が強国と考える(ロシアも含め)。ただそう考える人が増えてくると、戦争の足音が近付くと言う事だろうが・・。







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