2010年8月31日火曜日

マニフェスト ディスティニー (Manifest Destiny)

民主党の代表選挙が決まった本日、米国では7年に及んだイラク戦争が公式に終わった。一見無関係に思えるこの二つの出来事は、実は「マニフェスト」という言葉で結ばれている。

まず、日本で「マニフィスト」の言葉が流行り出したのは、確か政権を獲得する前の民主党が、選挙公約をこの言葉で現わした事が切欠だったと記憶している。だが米国では「マニフィスト」という言葉は単体ではあまり使われない。むしろ、「マニフィストディステイニー」と言う観念的な言葉の一部として、歴史上で使われる事が多い。では、マニフィストディスティニー(Manifest Destiny)とは何だ。

この言葉は1898年の米西戦争に遡る。言うまでもなく米西戦争は長らくモンロー主義を敷いていた米国が、欧州の列強に並んで植民地支配へ出て行った最初の戦争である。当時モンロー主義という言葉を米国民が意識していたとは思えないが、南北戦争の疲弊から回復し、またインデイアンとの争いも一段落したこの国では、明らかに次の戦いを求めていたはず。そこにスペインによる植民地への圧政。特にキューバは隣だ。米国は戦争の大義を得た。その時使われたのが、「マニフィストディスティニー」という概念である。

つまりこの言葉は米国人が好きな「正義遂行の公約」である。そしてこの米西戦争の英雄はセオドアルーズベルト。彼の大統領としての有名な言葉が「もし正義と平和の間で選択を迫られたら、私は迷わず正義を選ぶ。」だ。素晴らしくかっこいい。だが一方で「正義とは権力者の利権」と言うプラトンの言葉もある。そして、セオドアルーズベルトを尊敬したとされるブッシュが始めた戦争がイラク戦争だった・・。

このマニフェストという伝統の言葉を流行語として日本に導入した民主党。この浮かれた関係が、戦争など遠い昔の平和ボケ国家日本と、イラク戦争が終わってもアフガンで出口が見えない米国の関係を見事に代弁する。まあこれも所詮は米国を冷静に見れない日本の宿命。だがその日本人に、世界が米国をどう見るかと、日本が米国をどうみるかにおいて、歴史的また客観的な違いを一つ言いたい。その違いは日本人は意識した事がないはずだ。

そもそも米国が超大国である事は世界中が平等に知っている。だが日本がユニークなのは、日本人は戦争で米国に負けたと思っている事。事実その通りである。だが言い換えると、中国やソ連に負けたと感じている日本人は少ない。

一方同じ敗戦国のドイツはどうだ。ドイツも有名なノルマンデイー上陸作戦や、英国から出撃した米軍機による空爆で米国によって決定的敗北を喫したではないか。確かに。だが歴史的事実からしても、ドイツが負けた相手は米国ではない。ヒトラーはスターリンのソ連に勝てなかったのだ。双方で日本の戦死者の5倍、1500万人が死んだ人類史上最も悲惨な独ソ戦争でナチスドイツは疲弊し、やがて敗北した。

一方日本は米国に原爆まで落とされ、元寇から日露戦争まで日本人を支配した神の国信仰を打ち砕かれた。そして戦後は逆に米国によってここまでの経済大国にしてもらった。つまり米国は日本にとって神の様な存在だ。その米国を日本人は客観的に見る事はできない。一方世界では米国に戦争で直接負けたと考える国は意外に少ないのだ。

この違いは大きい。そしてこの違いは今は日本人の米国債信仰となって新しい現象を起こしている・・。







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