2008年8月14日木曜日

<今日の視点>平和の祭典の意義

北京オリンピックが始まり、私も含め皆の関心はイランよりも金メダルの行方になった。しかし突如グルジアが始まったと思ったら、本日にはブッシュは米軍のグルジア派遣を発表した。ただこの状況にもかかわらず、自分を含め、世の中は今起こっている事と、映画やTVのゲームの世界との区別ができていない様子である。

無理もない。平和が続いた為、先進国の「戦後生まれ」が知る国威の衝突といえば、精々平和の祭典としてのワールドカップかオリンピック程度。従って「北京」に熱中している今は尚更平和の象徴である五輪と現実に起こりつつある悲劇への入り口の危機との区別がつかなくなってもしかたがない。そしてそれを一番象徴しているのは金融市場の動きだ。

そもそもサブプライムがあっても「金余り」に変化はない。その中でどうやって更に金を儲けるかが市場参加者にとっては現実問題。それはそれで真剣勝負だ。従って自分のポジションリスクと人類の悲劇のリスクが交錯していても、其の違いを認識するのはDNA的にも難しくなっている。言い換えれば、勝てば儲け、負ければ損の世界と、勝てば生、負ければ死の世界の違いが実感できないのだ。そうでなければグルジアも相場の材料でしかないかの様にCNBCに出演している米国の市場関係者があんな笑顔でいられるはずはない。この顛末を市場が本当に織り込み始めた時に市場はどんなパニックになるか。実はそれもゲームとしての刺激程度にしか感じられない己自身の終末も近いかもしれない。

だが最後に一つだけ言っておこう。冷戦が冷戦で終わった一番の理由は何か。それは冷戦時代の国家のリーダー達は第二次世界大戦を経験したからだ。だから最後に悲劇を避ける人間としての感覚が抑止力なった。果たして今の指導者にその感覚があるだろうか・・。

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