サブプライムが崩壊した直後からここでは桃源郷と揶揄されたクレジット市場は冷戦終結が齎した平和の産物の一つだと断言してきた。なぜなら、冷戦中までは人々のリターンへの欲望には常識的な限度額があったからだ。しかし平和が当然になると、リターンの常識的限度が消滅した。ゲームの時代が始まったのである。すると、生きるか死ぬかの緊張が金儲けの緊張に代わり、そこにステロイドが加わった。そしてこのスキームで駆動力となったのが米国のGSEと証券化経済における格付け機関だ。人はいつしかこのスキームをグローバルスタンダードと呼ぶようになった。しかし実際には本来人間が持っていたスタンダードが崩壊した時代だったのかもしれない。皮肉なのは米国のファンドには建国の父のベンジャミンフランクリンやリンカーンから名前を頂戴してるファンドが多い事だ。だがベンジャミンフランクリンの13か条をどれだけの人が覚えているのか。皆が覚えていたらサブプライムは防げたのではないか。
ところでサブプライム以降の米国は、転げ落ちる自国の現状認識において、自己反省のアプローチはしない。サブプライムの崩壊は経済学上のスキームの失敗であり、モラルも含めた人間としての根源的なミスであるという認知を極力避けている。そして日本の失われた10年を悲観主義民族の落ちた失政として自らの楽天主義の優位性をどこまでも押し通す意気込みである。ただ超大国だった米国が反省の前に力で事態の打開を図ろうとすればどうなるか。言うまでもない。冷戦が逆戻りし、そしてその後は本当の流動化の時代を再び迎える可能性がある。時代の逆流である。
さて日本でNGOという言葉が認知され始めたのは90年代の中頃と記憶しているが、NGO活動は冷戦が終わり、先進国に余裕が生まれた頃から注目されるようになった。そもそも冷戦が終結しても南北問題は残り、またソマリア等、アフリカでの飢饉や大虐殺を併発した内戦は冷戦が終結した事によって逆に引き起こされた側面もあった。そして冷戦後という新しい枠組みの中で、民間の非営利団体が政府に変わって活動する事は必然だったとも言える。その意味で、NGO活動は桃源郷だったクレジット市場の親戚である。しかし時代は変わった。時代の逆戻りが始まった以上は今必要なのはNGOでなく特殊部隊だ。実は金融市場もゲームから存亡をかけたイクサに変わっている。しかしまだ多くのプレイヤーにはその認識がなくモードはゲームのままだ。彼らは絶対に助からないだろう。ただ所詮金儲けで助からないの自業自得。NGO活動で命を落とすのはソレではすまない。
平和主義は尊い。だが現実を認知する知性も必要だ。最早ソレは新しいグローバルスタンダードである。
0 件のコメント:
コメントを投稿