2010年6月26日土曜日

法律の限界

オバマ政権が発足してからの二大テーマの一つ。金融改革法案の原案が終に出来上がった。これであとは大統領のオバマが署名するだけである。ただ、新法案の影響がどうなるかは今後の話として、本質は法律は万能では無いという事。特にこの国はその最たる国だ。従ってこの法案がどんなモノにせよ、その気になれば必ず抜け道はある。

ところでオバマはこの法案をG20の会議まで用意しろと強く議会に要求した。おかげで朝5時までかかったバーニー(金融担当の下院議員)の今日の顔は酷かった。だがそこまでして自国の法案をG20に持ち込む意図は何だ。言うまでもなく金融のルールは自国だけでは意味がない。ただそもそもG20は成長優先の米国と、成長より財政健全化に舵を切った他国の間に開きがある。そんな中で形式だけの法案を用意したところで米国の本質が変わらなければ意味は無いのではないか。米国べったりの国はこの法案を真に受けるかもしれないが、既に米国の本質を見切っている国にはオバマ政権のパフォーマンス優先の実態は余計にしらじらしく映る可能性がある。

ところで、今回の法案の前に米国が金融のあり方を変えたのは、グラスステイーガル法を廃案にした1999年である。グラスステイーガル法とは、大恐慌の原因とされるそれまでの銀行証券の混同を禁止した法案である。ただここで触れておくが、今この国には大恐慌の原因には二つの意見がある。一つは恐慌にさかのぼるバブル発生と、そのバブルを生み出した緩い規制が原因だったとする意見。そしてもう一つは、バブルが崩壊後の対処療法に問題があったとする意見だ。言うまでもなくバーナンケは後者。だから彼は一連の救済を行った。だが当時の米国は恐慌の苦しい中で敢えて前者を採用した。

その法案をクリントン政権は政権末期のどさくさで廃案にした。そして同法案が廃案になった背景をもう一度紹介すると、一つはユニーバーサルバンキングだった欧州系金融機関が90年代後半に米系の証券会社を買い漁った事。そして何といってもSワイル会長のCITIグループ創設に向けての野望が議会を動かした事が大きかった。

たが、一昨年の危機後は有識者の間で同法案の廃案が失敗だったという認識が広まった。しかし議会で堂々とその意見を言う人は少ない。理由は明確。それはクリスドット(上院金融委員長)などの有力な面々の殆どが、99年に廃案を承認した張本人だからだ。こうみると今回の新法案ではいかに議員による政治的パフォーマンスが優先されたかが良く判る。

そして興味深いのはそもそもユニバーサルバンキングは欧州の産物だった事。つまり、本質論に戻れば、ドイツ銀行などがずっとユニバーサルバンキングであったにもかかわらず、世界がドイツ発のバブルにならなかったのは、バブルは究極的に法律の結果ではないという事だ。要は人間の問題。そう、法律を使う側の問題である。言い換えると、元々ドイツは銀行と証券の垣根が無くても健全性が保たれた国だったのではないか。だが皮肉な事に冷戦終了後の90年代後半、そのドイツがウォール街に殴りこんできた。ドイツ銀行とUBSによる米証券買収は、議会を動かすに十分なインパクトがあった。

いずれにしても、先進国は成長が鈍化するに従い金融に頼らざるをえない。ただ大きな失敗を経験し、ここからは教訓を活かしながらいかに金融を殺さないかの模索だ。ただその点でこの新法案はこの国の今の本質、つまり昔に比べて安易な金銭欲が強くなりすぎた現状に対してはどの程度の効果があるか個人的には疑問である。恐らくG20に集まる米国をよく知る老獪な欧州や、どうやら覚悟を決めたドイツからすれば、この法案は失敗の当事者によるEXCUSEの産物でしかない。そんなモノを振りかざしてオバマはどうするつもりだろう。

最後に日本の今後の金融行政が注目だ。80年代の日本のバブルもあれはあれで日本の一方通行の特徴が出たもの。だが本来の日本人の国民性からして、本当は米国に必要なガチガチの規制が今の日本に必要だろうか。むしろ逆ではないか。ドイツの制度が世界の災いにならなかった様に、日本は日本人の規律性を信じ、金融への過度な規制を緩める方が得策だ。もし日本国民にソレを説明するのが厄介というなら、政治家と役人はそれこそクリスドットとバーニーフランクを見習うべし。ただ米国はそんなアドバイスを日本にすることは絶対に無い。なぜなら、米国は日本が日本のお金を日本のために使う事を想定していないからである・・。

 



0 件のコメント: