テレビ東京の「ガイアの夜明け」は来年から案内役が役所広司から江口洋介に代わるという。引き続き人気俳優を用いる事でこの番組への意気込みが感じられるが、その年末特番では以前番組で紹介した人々のその後を取り上げていた。
そして2002年に取り上げた中国内陸部の貧困と沿岸部の富裕層との格差問題で登場した少女の近況は衝撃的だった。
当時一家の年収が2万円という極貧の内陸から都会へ出稼ぎに出た少女は今は20代半ば。結婚出産を経て500万円で購入したマンションで幸せに暮らしていた。この間に工場の月給は15000円から50000円になり、夫と二人、両親を呼び寄せるまでになった。
この様に、宝くじに当たったわけではない普通の中国人が極貧から中間層へと変貌する一方、NHK特集では給食代が払えず、心配した教師に呼び出された児童が空腹から教師が出した残りモノのキャンデイーと牛乳を貪る姿を追っていた。
このスピードでこれ程の変化が日本と中国で起きるとは思わなかった。これが2009年末の雑感である。
こんな社会になぜなったのか。日本人は日本人の幸せを取り戻す時が来ている。だが何が日本人の幸せなのか。日本は米国の傘下で一流の消費大国となった。だが一旦そのバブルが崩壊すると、その後は永らく本質を見失ったままだ。
GDPは一つの数値に過ぎず、これが唯一の幸せの尺度なら、米国とて中国には勝てない日が近づいている。その前に、米国は実体経済でGDPの成長を維持できない体になってしまった。
そして日本以上の格差の中、政治は安定を欠き、オバマ自身約束したはずのチェンジのグリップを握ってはいない。それどころか小康状態を維持するための流動性は危機以前を上回る。
こんな中で危惧されるのは日本人が日本人の幸せを見いだせないまま米国の傘下のモラトリアムに引きこもる事。何もしない周回遅れの幸運はいつまでも続かないだろう。
さてそんなのヒント。この話題は昨年も触れたが、スポーツへの趣向から国民が本来求めている価値感が何かを探る事が出来る。まず日本人にとって冬のスポーツの代名詞は駅伝だ。個人競技としてのマラソンではなく、駅伝である事がポイント。
そして言うまでもなく米国はアメフト。アメフトはラグビーと比べる事でより米国の本質が見える。そこで日本人の駅伝と米国のアメフトの違いを説明する上で太平洋戦争における分岐点だったミッドウェイとマリアナ沖の海戦での日米の戦い方の話をしたい。ただその前に事実を整理する。
1939年9月ににドイツがポーランドへ侵攻して第二次世界大戦が始まったが、真珠湾攻撃の1941年12月までの2年間に欧州の大半がヒトラーに支配されていた。残すは英国のみ。チャーチルはルーズベルトに助けを求めた。
だが米国国民は参戦に否定的で、その先頭にはイギリス大使だったケネディシニア(大統領の父)。そんな中で真珠湾攻撃の前年ルーズベルトは公約違反の徴兵を断行。理由はドイツが隣接する南米を視野に入れたとの情報だった。
ただここで重要なのは当時の米国陸軍は世界で17番目という小規模だった事。モンロー主義の結果、それまでの米国の対外戦争といえば米西戦争。即ちそれは海兵隊(マリーンズ)の仕事であり、大規模な陸軍はいらなかったのである。
そして徴兵されたリーゼント頭の若者の6割は、狩猟用の鉄砲さえ触った事が無かったという。(ヒストリーチャンネル、WWⅡから)これは正規非正規を合わせて国内だけで2億丁の銃が出回る今の米国から想像できない姿である。
この時点では、陸軍を中国に展開、海軍も開戦に準備していた日本が優位だったかもしれない。そしてWWⅡのドキュメンタリーはここからの日米の人材に対する価値感の違いを浮き彫りにする。
米国は徴兵したリーゼント頭の若者に、軍人としての精神教育を程した様子はない。事実生き残った米兵の証言で勇猛を自慢する話は皆無だ。つまりこの時点で米国は現在の米国型マネジメントの本質を実行している。即ちそれはエリートとそれ以外の区別だ。
エリートは簡単に死なせない。また経験が価値となる熟練パイロットに消耗戦は絶対にさせない。一方でノルマンデイ上陸などの危険な作戦では全員を鼓舞する演説が必要となる。それがヒーローイズムだ。そしてそのリーダーシップを発揮できる人材が大統領の資質と重なる((アイゼンハワー) 。
ところが、日本はエリートになればなるほど精神教育が重要だった。それも自己犠牲の美徳を説く事。天皇崇拝以外にも極楽浄土に行くためには現世での戒律を重んじた仏教の影響もあったかもしれない。
いずれにしても日本は開戦後程なくしてエリートや熟練パイロット程あっという間にその美徳で死んでしまった。まるで襷を後人に託す駅伝競技の様に・・。
その結果が前述の海戦で日本の致命的敗戦と考えるが、駅伝とアメフトはこの歴史を踏まえて楽しむべきだ。ただ元々ラグビーが好きだった自分自身、米国に来て最初の7年間はアメフトを見なかった。
だが米系で働き、自分の足でこの国の風や波を受けるうちに米国を理解する上でアメフトの魅力を理解するのは必須である事を悟った。アメフトは精神を競うゲームではない。作戦立案者と実行者に明確なスプレッドがある。
その点で前線に自ら立った英国の貴族階級の軍事訓練の象徴だったラグビーとも似ても似つかない。その結果第一次世界大戦でオックス・ブリッジのエリートが前線で大勢死んでしまった事を英国が嘆いた話は有名だ。
だがその一方で、今の英国ではボーナス返還を約束したはずのAIG社員がその約束を守らない実態が報道された(NYTIMES)。これを聞くとこの国のエリートの変質を感じざるを得ない。
AIGは約束の履行を社員に強制できないという。その理由は会社を立て直すためには彼らが必須だから。この点は今も変わらない考え方だ・・。
そして米国社会も終に変化を始めた。マイケルムーアの最新作「キャピタリズム」では、一般社員をPEASANTS(小作人、或いは発展途上国の貧民の意味)としてその社員に生命保険をかけ、社員が死んだ場合の受取人を会社にしている大手企業の実態が取り上げられた。
保険会社ではその商品名をPEASANT POLICYとして用意しているというが、これらの反動がついに健康保険制度に起きた。ただ米国では国益上エリートとそれ以外のスプレッドは必要だろう。
但しこの国のエリート層がここまで金融関係者で占められた歴史はない。この事実を踏まえ、米国がこの先どこへ流れ着くか。それを見極める努力をしながら日本人は自身の幸せの基準を再構築する時が来たのではないか・・。
--Begin SiteStats Code Sep 10, 2009-->
そして2002年に取り上げた中国内陸部の貧困と沿岸部の富裕層との格差問題で登場した少女の近況は衝撃的だった。
当時一家の年収が2万円という極貧の内陸から都会へ出稼ぎに出た少女は今は20代半ば。結婚出産を経て500万円で購入したマンションで幸せに暮らしていた。この間に工場の月給は15000円から50000円になり、夫と二人、両親を呼び寄せるまでになった。
この様に、宝くじに当たったわけではない普通の中国人が極貧から中間層へと変貌する一方、NHK特集では給食代が払えず、心配した教師に呼び出された児童が空腹から教師が出した残りモノのキャンデイーと牛乳を貪る姿を追っていた。
このスピードでこれ程の変化が日本と中国で起きるとは思わなかった。これが2009年末の雑感である。
こんな社会になぜなったのか。日本人は日本人の幸せを取り戻す時が来ている。だが何が日本人の幸せなのか。日本は米国の傘下で一流の消費大国となった。だが一旦そのバブルが崩壊すると、その後は永らく本質を見失ったままだ。
GDPは一つの数値に過ぎず、これが唯一の幸せの尺度なら、米国とて中国には勝てない日が近づいている。その前に、米国は実体経済でGDPの成長を維持できない体になってしまった。
そして日本以上の格差の中、政治は安定を欠き、オバマ自身約束したはずのチェンジのグリップを握ってはいない。それどころか小康状態を維持するための流動性は危機以前を上回る。
こんな中で危惧されるのは日本人が日本人の幸せを見いだせないまま米国の傘下のモラトリアムに引きこもる事。何もしない周回遅れの幸運はいつまでも続かないだろう。
さてそんなのヒント。この話題は昨年も触れたが、スポーツへの趣向から国民が本来求めている価値感が何かを探る事が出来る。まず日本人にとって冬のスポーツの代名詞は駅伝だ。個人競技としてのマラソンではなく、駅伝である事がポイント。
そして言うまでもなく米国はアメフト。アメフトはラグビーと比べる事でより米国の本質が見える。そこで日本人の駅伝と米国のアメフトの違いを説明する上で太平洋戦争における分岐点だったミッドウェイとマリアナ沖の海戦での日米の戦い方の話をしたい。ただその前に事実を整理する。
1939年9月ににドイツがポーランドへ侵攻して第二次世界大戦が始まったが、真珠湾攻撃の1941年12月までの2年間に欧州の大半がヒトラーに支配されていた。残すは英国のみ。チャーチルはルーズベルトに助けを求めた。
だが米国国民は参戦に否定的で、その先頭にはイギリス大使だったケネディシニア(大統領の父)。そんな中で真珠湾攻撃の前年ルーズベルトは公約違反の徴兵を断行。理由はドイツが隣接する南米を視野に入れたとの情報だった。
ただここで重要なのは当時の米国陸軍は世界で17番目という小規模だった事。モンロー主義の結果、それまでの米国の対外戦争といえば米西戦争。即ちそれは海兵隊(マリーンズ)の仕事であり、大規模な陸軍はいらなかったのである。
そして徴兵されたリーゼント頭の若者の6割は、狩猟用の鉄砲さえ触った事が無かったという。(ヒストリーチャンネル、WWⅡから)これは正規非正規を合わせて国内だけで2億丁の銃が出回る今の米国から想像できない姿である。
この時点では、陸軍を中国に展開、海軍も開戦に準備していた日本が優位だったかもしれない。そしてWWⅡのドキュメンタリーはここからの日米の人材に対する価値感の違いを浮き彫りにする。
米国は徴兵したリーゼント頭の若者に、軍人としての精神教育を程した様子はない。事実生き残った米兵の証言で勇猛を自慢する話は皆無だ。つまりこの時点で米国は現在の米国型マネジメントの本質を実行している。即ちそれはエリートとそれ以外の区別だ。
エリートは簡単に死なせない。また経験が価値となる熟練パイロットに消耗戦は絶対にさせない。一方でノルマンデイ上陸などの危険な作戦では全員を鼓舞する演説が必要となる。それがヒーローイズムだ。そしてそのリーダーシップを発揮できる人材が大統領の資質と重なる((アイゼンハワー) 。
ところが、日本はエリートになればなるほど精神教育が重要だった。それも自己犠牲の美徳を説く事。天皇崇拝以外にも極楽浄土に行くためには現世での戒律を重んじた仏教の影響もあったかもしれない。
いずれにしても日本は開戦後程なくしてエリートや熟練パイロット程あっという間にその美徳で死んでしまった。まるで襷を後人に託す駅伝競技の様に・・。
その結果が前述の海戦で日本の致命的敗戦と考えるが、駅伝とアメフトはこの歴史を踏まえて楽しむべきだ。ただ元々ラグビーが好きだった自分自身、米国に来て最初の7年間はアメフトを見なかった。
だが米系で働き、自分の足でこの国の風や波を受けるうちに米国を理解する上でアメフトの魅力を理解するのは必須である事を悟った。アメフトは精神を競うゲームではない。作戦立案者と実行者に明確なスプレッドがある。
その点で前線に自ら立った英国の貴族階級の軍事訓練の象徴だったラグビーとも似ても似つかない。その結果第一次世界大戦でオックス・ブリッジのエリートが前線で大勢死んでしまった事を英国が嘆いた話は有名だ。
だがその一方で、今の英国ではボーナス返還を約束したはずのAIG社員がその約束を守らない実態が報道された(NYTIMES)。これを聞くとこの国のエリートの変質を感じざるを得ない。
AIGは約束の履行を社員に強制できないという。その理由は会社を立て直すためには彼らが必須だから。この点は今も変わらない考え方だ・・。
そして米国社会も終に変化を始めた。マイケルムーアの最新作「キャピタリズム」では、一般社員をPEASANTS(小作人、或いは発展途上国の貧民の意味)としてその社員に生命保険をかけ、社員が死んだ場合の受取人を会社にしている大手企業の実態が取り上げられた。
保険会社ではその商品名をPEASANT POLICYとして用意しているというが、これらの反動がついに健康保険制度に起きた。ただ米国では国益上エリートとそれ以外のスプレッドは必要だろう。
但しこの国のエリート層がここまで金融関係者で占められた歴史はない。この事実を踏まえ、米国がこの先どこへ流れ着くか。それを見極める努力をしながら日本人は自身の幸せの基準を再構築する時が来たのではないか・・。
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